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名古屋球場が大火災! 逃げ場を失い次々に飛び降りる観客を選手たちが抱き止めて…「フォークボールの神様」杉下茂さんが語ってきた歴史と野球への想い

posted2023/06/18 11:04

 
名古屋球場が大火災! 逃げ場を失い次々に飛び降りる観客を選手たちが抱き止めて…「フォークボールの神様」杉下茂さんが語ってきた歴史と野球への想い<Number Web> photograph by JIJI PRESS

中日キャンプには毎年のように駆けつけ投手陣に温かい言葉をかけていた杉下茂さん

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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 プロ野球のフランチャイズが、しかも試合中に全焼したという痛ましい事件が起こったのは、1951年8月19日のことだった。名古屋(現在の中日)対巨人。球場は現在のナゴヤ球場の場所に建っており、「中日スタヂアム」という名称だった。

 1951年といえば、サンフランシスコ講和条約が締結された年。日本は主権国家として独立を回復する前だった。今から72年前の火災当日、先発していたのが亡くなった杉下茂氏だった。

 出火時刻は午後3時58分。原因はタバコの火の不始末と言われている。出火場所はネット裏。スタンドは木造で、下は空洞だった。弁当の空き箱から紙くずまで、スタンド下は巨大なゴミ箱のように扱われていた。散乱するゴミの上に、タバコの吸い殻が次々と投下される。今では信じられないほどの喫煙天国だった。このため、ぼや騒ぎは日常茶飯事。しかし、強風が吹いていたこの日は「いつものこと」では済まなかった。瞬く間に火は燃え広がり、阿鼻叫喚の地獄と化した。

燃え上がる炎…飛び降りる客を受け止めて

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 まだ3回だったが、試合続行どころの騒ぎではない。燃え上がる炎を見て、逃げ場所を失った観衆はパニックに陥った。そのようすを、杉下氏は克明に記憶しており、後年、語り部となっている。

「熱でフェンスがグニャグニャに曲がっておりましてね。とにかくお客さんは球場の外ではなく、グラウンド側に逃げなきゃならなかった。だからフェンスをよじのぼって、飛び降りてこなきゃいけないんだけど、女性や子供は怖くて降りられない。下で私たちが受け止めるから、大丈夫だから飛び降りなさいってね」

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