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「僕はサッカー人生の敗北者」元・市船のスーパーエースにして韓国Kリーグで最も愛される日本人、石田雅俊が輝きを取り戻すまで
text by
姜亨起Kang Hyeong Gi
photograph byFA photos
posted2023/06/07 11:00
4月1日の大田−ソウル戦で、生涯初となる“1部リーグでの得点”を挙げて喜ぶ石田
今から約10年前、高校サッカーシーンで強烈なインパクトを残した“市船のスーパーエース”と言えば、ピンとくる人もいるだろうか。
千葉県習志野市出身の石田は地元の東習志野F.C.でサッカーを始め、ヴィヴァイオ船橋SC、愛知FCを経て名古屋グランパスU-15に所属した。そして、高校は全国屈指のサッカー名門校・市立船橋へと進学した。
市船では1年生からベンチに入り、冬の全国選手権優勝を経験。3年生では背番号10を背負い、夏のインターハイ制覇に大きく貢献した。高校生離れしたシュートセンスやドリブルテクニックなど、その類まれなる才能から、人々は彼を“市船のスーパーエース”と呼んだ。
ただ、石田本人に「市船時代の自分はどんな選手だったか」と質問してみると、やや苦笑いの表情でこんな答えが返ってきた。
「いやあ……もう超弱いっすね。超ペラッペラで、サッカー理解度なんて当然なかった。精神的にもブレがとにかく多くて、自分が気持ちよくプレーできるときはすごく良いパフォーマンスを出せるんですけど、ちょっとでも環境や相手が自分に合わなかったらダメで。高校時代からちょっとビビりというか、大一番に弱い感覚がありました。今思うと、本当に未熟だったんだなって感じます」
Jリーグで味わったプロの壁
高校卒業後、多くの期待を背にJリーガーとなった石田はほどなくプロの壁にぶつかった。
2014年に京都サンガF.C.入団後、3年目の2016年夏からレンタル生活がスタート。SC相模原、ザスパクサツ群馬、アスルクラロ沼津と毎年クラブを転々とするも、思うような結果を残せず。そして2018年12月、京都から契約満了を言い渡された。
「経験がないのは当然ですが、あの頃は本当に何も理解していなかった。今思うと苦しい状況だったけど、当時の自分は追い込まれているような感覚すらなかったかもしれない。何もわからないまま、経験不足の状態でプロ生活に飛び込んだだけですね」
プロ5年目、23歳で所属先がなくなった石田は日本でトライアウトも受けたが、エージェントの勧めもあり新天地に韓国を選んだ。2019年シーズン、石田は登録名「マサ」として2部の安山グリナースの一員となり、Kリーグの舞台に足を踏み入れた。