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武藤敬司60歳が明かす引退試合のこと…なぜ内藤哲也だったのか? 全治6週間の大ケガに「延期なんて絶対できないし、這ってでも出なきゃ…」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byNOAH
posted2023/05/22 17:01
引退試合の相手に内藤哲也を選んだ武藤敬司。果たしてその真意は…
東京ドームにはコロナ禍以降、プロレス界最多の観客動員となる3万人が詰め掛けた。武藤の引退興行にふさわしくプロレスリング・ノアの主催ながら新日本、全日本など他団体のトップ選手たちも参戦。この日の主役もモニターで試合を見ながら、念入りにストレッチをこなして出番を待った。
なぜ、内藤だったのか?「俺がリサーチしたところ…」
引退試合の相手に指名したのは新日本で人気ユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を率い、武藤に憧れを抱いていたことを公言する内藤哲也である。
なぜ、内藤だったのか。なぜ、彼となら最高の作品がつくれると思ったのか。
「俺がリサーチしたところ、内藤が新日本で言っても断トツの集客力を誇るんだよ。新日本をターゲットにするなら棚橋(弘至)は身内みたいなもんだし、オカダ(・カズチカ)は天龍(源一郎)さんの引退試合の相手。人気、実力を考えても、(戦いに)緊張感を持たせる意味でも内藤なんだよ」
ついに、そのときがやってくる。
メーンイベントの序章として1984年に新日本に同日入門し、デビュー戦でも戦った闘魂三銃士の盟友、蝶野正洋が登場した。一昨年に脊柱管狭窄症の手術をしてリハビリの過程にあるため、杖をついてリングイン。入場の盛り上げ役を買って出た。
「アイツが入場するときに俺、近くで見ていたら何かサングラスの奥がちょっとウルウルときてたんじゃないかな。感極まってんのかよって感じがしたね」
むしろラストファイトとあっても感傷の欠片もない武藤こそ鋼のメンタルと言うべきか。いくつもある自分の入場曲がリミックスされた特別バージョンでの登場にも、感慨など一切なし。気になっていたのはハムストリングの状態その一点だけ。歩いてもジャンプしても小走りしても痛みはまったくなかった。
武藤敬司KEIJI MUTO
1962年12月23日、山梨県生まれ。21歳で新日本に入団し、'84年デビュー。蝶野正洋、橋本真也と闘魂三銃士と呼ばれる。'02年全日本移籍。'13年の退団後WRESTLE-1設立。フリーを経て'21年ノア入団。今年の2月21日、東京ドームで行なわれた内藤哲也戦がラストマッチに
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