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「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」

posted2023/05/19 17:15

 
「頑張ったね」頚髄損傷のリング事故から1年、大谷晋二郎の頭を7歳の娘がなでて…車椅子で語った思い「僕は杉浦貴と闘ってよかった」<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

1年1カ月ぶりにプロレス会場に姿を現した大谷晋二郎。

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

「あぁ、プロレスの匂いがする」

 1年1カ月ぶりのプロレス会場で大谷晋二郎は言った。

 新日本プロレスではジュニアヘビー級の看板選手として活躍。ZERO1では橋本真也の右腕となり、橋本が亡くなると団体を引っ張ってきた大谷。

 悲劇に見舞われたのは昨年4月のことだ。両国国技館でのビッグマッチで杉浦貴が持つ世界ヘビー級王座に挑戦した大谷だったが、試合中に首を負傷。リング上に倒れたまま動けず、救急搬送された。

 頸髄損傷。首から下が動かない状態で、大谷は病院での日々を過ごす。コロナ禍でもあり、関係者もなかなかお見舞いに行けない。すぐに支援の募金活動が始まった。だが、その記者発表と同時に行われるはずだったケガの状況を伝えるための記者会見は、主治医からストップがかかった。素人が説明できるような簡単なことではないという理由からだ。言えるのは「改善に向け治療中である」ということだけ。そこには詮索や憶測を防ぐという意味もあった。マスコミを騙る者からの病院への取材依頼で迷惑しているという話もあった。ネットにはしたり顔で「今のプロレスの危険性」を語る者たちもいた。

口に咥えた棒と顎でタブレットを操作して

 だが大谷は、まったくへこたれるということがなかった。少なくとも、周囲にそういう姿を見せなかった。10月になると病院から提供されたタブレットでツイッターを再開。綴られる言葉は力強く、時にユーモラスで、つまりそれまでと変わらない大谷だった。ベッドの上にいる大谷に、プロレスファンたちが力づけられたとさえ言っていい。

 口に咥えた棒、顎も使ってタブレットを操作。自撮りもできるようになった。文字を打ち込むスピードはどんどん上がり、ZERO1のリングアナウンサーであるオッキー沖田には「俺、世界一早く打てるかもしれない」と言っていたそうだ。

「さすが大谷晋二郎ですよ。“ここでもチャンピオン目指すんですか”って」(沖田)

 そして今年に入り、大谷が会場を訪れるという話が進んだ。当初は3月、靖国神社相撲場での奉納プロレスに来場予定だったが雨天のため中止。あらためて5月6日のベルサール高田馬場、スペシャルイベント『押忍PREMIUM』が“プロレス会場復帰”の舞台となった。

【次ページ】 ステージに登場、特大の“大谷コール”

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