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「電撃引退」逸ノ城30歳とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2023/05/15 11:04
直前の3月場所で十両優勝を果たしながら、電撃引退した逸ノ城(30歳)。写真は異例のスピード出世を続けた2014年
「日本語も、まだまだだったんです。だから寮を出して、体育協会の先輩と一緒に住まわせた。日本語を早く覚えれば、のちの本人のためになる。遠回りをさせたけど、慌てなくてよかったんですよ、逸ノ城の場合はね」
「初めて泣いたのを見た」
鳥取県体育協会に就職した逸ノ城は、毎日自転車を30分こぎながら、相撲部の道場に通い、ひたすら稽古に打ち込む。9月、全国実業団相撲選手権で優勝し、悲願の「実業団横綱」の栄冠に輝いた。外国人初の幕下15枚目付け出し資格を得て、プロヘの切符をようやく掴み取ったのだ。傍らで付き添っていたガントゥクスは、この時の逸ノ城を、まるで昨日のことのように思い出す。
「ものすごく集中していて、決勝戦は右四つで自分の型になって、一歩も引かずにがむしゃらに前に出た。相撲部時代は、女子に負け、自分より小さい子に負け……。負けても悔しそうな顔を見せずに、『おいおい大丈夫かよ』と心配するくらいに無表情だった逸ノ城が、この時、初めて泣いたのを見たんです。本当にタイトルがほしかったんだろうな。プロに行きたかったんだろうな。心底ホッとしたんだろうな、と僕も泣けたくらいです」
170cmの小さな“兄費分”ガントゥクスと抱き合った逸ノ城の頬を、堰を切ったように大粒の涙がつたった。
「モンゴルに帰りたいとか、稽古がつらいとか、一度もそんな言葉を聞いたことがなかったし、表面に感情を出さない。でも、熱いもの、強いものを、そのぶん内に秘めていたんだと思うんですよね」
「白鵬関は、何歳で横綱になったんですか?」
2013年10月、満を持して湊部屋に入門が決まった。外国人力士は3カ月の準備期間を取る規定があり、すぐには土俵に上がれない。本場所に向かう兄弟子たちを見送り、部屋にひと残る逸ノ城の、覇気のない背中に、部屋の行司が声を掛けたことがあった。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いえ……。早く相撲を取りたいんです」
母の反対で、すぐには日本に渡れなかったあの日々。ひとり、寮の部屋に取り残されたあの日々。ケガが完治せず、土俵に立てなかったあの日々。タイトルを獲らなければプロ入りさせないと言い渡され、ひたすら稽古を積んだあの日々――。飢えた狼は、ひとたび獲物を捕らえれば、貪り食べ尽くし、それは己の血となり肉となる。まさに逸ノ城は、日々、相撲に飢え続けていた。
2014年1月、念願の初土俵では6勝1敗。翌3月も6勝し、わずか2場所で十両に昇進する。5月には新十両で優勝を果たし、十両も2場所で通過した。新入幕の9月場所では、破竹の勢いでの13勝2敗、千秋楽まで白鵬と優勝を争い、あわや100年ぶりの新入幕優勝かと、その怪物ぶりが一躍話題となった。
11月の九州場所では新関脇として勝ち越し、思えば激動の1年だったのでは――と水を向けると、満面の笑みを湛えて、こともなげに言うのだった。