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「電撃引退」逸ノ城30歳とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで 

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佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/05/15 11:04

「電撃引退」逸ノ城30歳とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

直前の3月場所で十両優勝を果たしながら、電撃引退した逸ノ城(30歳)。写真は異例のスピード出世を続けた2014年

「寮に住んでいて、みんなは学校に行くんだけど、しばらく歩けなくて、ずっと部屋でひとりぼっちでした。時間もいつもより長く感じて……。松葉杖をついて歩けるようになって、上半身のトレーニングを頑張ったんです。筋肉がまるっきりなかったのが、ダンベルやって硬くなってきたり、腕が盛り上がってきたりして、うれしくて。どんどんやったっす」

 まるで当時のうれしさをそのまま再現するかのような、素朴な笑みを浮かべる逸ノ城。この時の心情を、ガントゥクスはこう代弁した。

「まわりがガンガン稽古していて、本人は相当に焦っていたでしょう。“早く稽古したい、早く土俵に上がりたい”とね。ケガが治ってからは急激に体も大きくなって、だんだんと、強くなっていったんです」

 2年生になると、その体格とパワーを生かし、瞬く間に力をつけた。鳥取城北高校相撲部では、重しを入れて150kgもの重量にした大型トラック用タイヤを、腰を割った体勢で押し返す、独特のトレー二ングがある。逸ノ城だけは、さらに40kg分の重りをつけ、軽々とタイヤを起こしていたという。

 逸ノ城が在籍した当時の2011年、鳥取城北高校は、6つの全国大会で個人・団体戦を完全制覇した。率いる石浦は言う。

「逸ノ城は、まず強い先輩たちに揉まれたのがよかった。2年生としてその背中を見て、最初は相撲を取らせてもらえなかったのが、だんだんと相撲らしくなり、そのうち五分になる。『あの日本一の先輩に勝てれば、俺も』となってゆくんです」

「プロは無理だ」

 2年生でレギュラーの座を掴んだ逸ノ城は、急成長し、その逸材ぶりをいかんなく発揮した。2年時で2冠、3年時で3冠、計5つの全国大会で個人優勝を果たし、いつしか高校相撲界にその名を轟かせる。高校相撲の最高峰であるインターハイでは、「外国人初の高校横綱誕生」の呼び声も高かった。

 だが結果はまさかの準決勝敗退。あれから2年の月日を経た今でも、「すごく悔しかった」と、顔を曇らせるほどだ。逸ノ城自身は卒業後すぐにプロ入りを熱望したが、ここで石浦は、一計を案じる。

「性格がのほほんとしていて、周囲のみんなから愛され、可愛がられていた。“もう少し強くなってプロに行ったら、活躍し、きっと人気が出るだろう”と思いましたよ。だからこそ、“こいつだけは絶対に強くして送り出さないと。まだ足りないものがある″と思い直したんです。本人には申し訳なかったけれど、理由をつけました。『高校横綱になれなかったから、プロは無理だ。その代わり社会人の大会を目指せ。実業団、国体、アマチュア横綱を決める天皇杯と、チャンスが3回あるんだ。お前もこのままでは悔しいだろ? ひとつでも狙ってみろ!』とね」

 数多のモンゴル人高校生を育て、大学相撲界、大相撲界に送り出している石浦には、もうひとつの懸念もあった。

【次ページ】 「初めて泣いたのを見た」

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