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「電撃引退」逸ノ城30歳とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで 

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佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/05/15 11:04

「電撃引退」逸ノ城30歳とは何者だったのか?「ずっと部屋でひとりぼっちでした」女子にも負けた“最弱”高校時代…ザンバラ髪の怪物が誕生するまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

直前の3月場所で十両優勝を果たしながら、電撃引退した逸ノ城(30歳)。写真は異例のスピード出世を続けた2014年

「性格もおとなしくて、あまり喋らない。モンゴル人は闘争心があって気が強い気質もあるけれど、そんな部分がまったく見えない。負けても悔しそうな顔をしないんですよね」

 通訳の男性との、「この子のモンゴル語は訛っている」との会話から、遊牧民出身だと初めて知った石浦は、悩んだ。

「長男で、大切な働き手を連れて行ってしまっていいのか、と。実際、母親が反対し、日本行きはなかなか決まらなかったんです」

 しかし、幼少時から燃料用の家畜の糞を集め、丸太を両脇に抱えて山を下り、羊や山羊、馬を追う日々を送っていた少年の心は、決まった。けして裕福とは言えない、過酷な遊牧生活を送る家族のためにも、日本に行き、成功したい――逸ノ城は言う。

女子にも負ける「最弱部員」だった

「高校を卒業したら、就職するか、大学に行くか、プロに行くか3つの道があると言われていました。それならば、僕は最初から絶対にプロに行くと決めて、日本に来たんです」

 両親と幼い弟妹を残し“ジャパニーズドリーム“を追った。部員たちと寮生活を送り、初めてまわしをつけた逸ノ城は、189cm、135kgの体躯を持ちながらも、女子部員に転がされるほどの「最弱部員」だった。

「ケガしそうだったので、1年間は相撲を取らせなかったんです。徹底的に基礎練習だけ。ただ“メシ”だけは強かったから、どれだけ大きくなれるかな、とは思ってましたけどね」

 との石浦の言葉に、逸ノ城は、「先輩に食べさせられたんですよ」と苦笑いする。

「どんぶりに盛られたご飯を8杯、鍋を5杯と、吐きそうになっても、吐いたら意味がないんで、我慢してました。稽古も大変でしたけど、食べるのもつらかったっす……」

 挨拶、礼儀、日常会話。コーチのガントゥクスが、「腰を落とせ」「脇をしめろ」との相撲の基本指導の日本語をローマ字で表し、モンゴル語でその意味を書き添える。そのひとつひとつを覚える生活が始まった。

「ずっと部屋でひとりぼっちでした」

 しかし、入部早々、逸ノ城はいきなり躓く。

 5月、右膝の靱帯を痛め、土俵で四股を踏めるまでに、3カ月の月日を要した。

【次ページ】 「ずっと部屋でひとりぼっちでした」

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