酒の肴に野球の記録BACK NUMBER

NHKディレクターを辞め、野球独立リーグ監督に転身「世間的にはナゼ? と思うかもしれませんが…」伊藤悠一さん35歳が語る“2つの理由” 

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

PROFILE

photograph byKou Hiroo

posted2023/05/14 17:01

NHKディレクターを辞め、野球独立リーグ監督に転身「世間的にはナゼ? と思うかもしれませんが…」伊藤悠一さん35歳が語る“2つの理由”<Number Web> photograph by Kou Hiroo

独立リーグ茨城の監督に転身した伊藤悠一さんにその経緯を聞いた

 NHKのディレクターとは、いわば「勉強するのが仕事」なのだろう。そして伊藤さんは東京勤務を経て、最後は出身地の静岡で業務に取り組んだ。

「異動のペースとしては早かったんですが、どちらかと言えば故郷で働きたいという、私の希望があった感じですかね。実は就職活動時、NHK以外にも地元・静岡の会社から内定をもらっていて、故郷で働きたいという気持ちが強かったんです。それに東京オリンピックが終わったタイミングだったので、スポーツで結構取材をやりきったという感じもあったんです」

世間的には何故? と思うかもしれません

 そして、静岡で2年半ほど勤務をして、NHKを退社する決意を固めたのだ。

「世間的には何故? と思うかもしれません。やめようと思った理由は2つあって、1つは中学からの夢だったテレビディレクターの仕事をしてきたのですが、それと同時に高校野球の指導者になりたいという夢もあったんです。中学の頃から野球をしていましたが、野球の面白さはどちらかというと、打ったり投げたりするより、“頭のスポーツ”であると思っていて、作戦や戦術にあると魅力を感じていたんです。当時から試合に出ながらも“次はこういう配球だな”“こういう作戦だな”と考えるのが好きだったんですね。

 それに加えて、人とコミュニケーションを取るのがすごく好きだったので、そういう仕事がしたいなと思っていたんです。ただ私としては45歳から50歳くらいに野球指導の方向に行ければいいかな、とは思っていたのですが……」

 30代半ば、結婚もして子供もいるNHKのディレクターは、ルートインBCリーグ、茨城アストロプラネッツの監督公募トライアウトの報に接した。

「最初にトライアウトについて聞いたときは、取材者目線で“面白いな”と思ったんですけど、いつしか球団に魅力を感じてきて、この球団なら自分のやりたいことができる。かつ、将来、高校野球の指導者になって故郷に帰るという夢のステップになるんじゃないかと思いました」

先のストーリーが見えると、あんまりおもしろくない

 99人の応募者があったが、数次の選考を経て伊藤氏に合格の通知が届く。

「内定の通知を貰って、まず思ったのは“どっちの道の方が後悔しないかな”ということです。ディレクターの道は、自分の中ではある程度やってきたという自負があった。でも野球の監督は誰でもできるものではない。プロ野球の監督はほぼNPB出身者しかできない中で、独立リーグという立場でも監督になれるのは千載一遇のチャンスです。

 それともうひとつは“どっちの道の方が先が見えないかな”ということでそた。世の中は大学を出て社会人になれば自分の将来が見えます。テレビ局でドキュメンタリーを作っていた時に感じたのは、“先のストーリーが見えると、あんまりおもしろくないな”ということです。それで思い切って決意しました」

 こうしてNHKディレクター伊藤悠一は、茨城アストロプラネッツの監督へと転身した――。

 <後編/#2につづく>

#2に続く
「野球界のマーケットから離れた人材を」独立L茨城が“35歳のNHK元ディレクター”を監督にした理由「監督って難しい。でも魅力的な…」

関連記事

BACK 1 2 3
伊藤悠一
茨城アストロプラネッツ

プロ野球の前後の記事

ページトップ