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NHKディレクターを辞め、野球独立リーグ監督に転身「世間的にはナゼ? と思うかもしれませんが…」伊藤悠一さん35歳が語る“2つの理由” 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2023/05/14 17:01

NHKディレクターを辞め、野球独立リーグ監督に転身「世間的にはナゼ? と思うかもしれませんが…」伊藤悠一さん35歳が語る“2つの理由”<Number Web> photograph by Kou Hiroo

独立リーグ茨城の監督に転身した伊藤悠一さんにその経緯を聞いた

パンダの出産子育てに3年間密着した

 伊藤さんは1年目から、ディレクターとして番組制作に携わる。

「PD=プログラムディレクターという役職で、要するに番組のディレクターです。日々のニュースは記者の皆さんが取材をしますが、PDはニュースの中で放映される10分の特集や、30分~1時間の大型番組の担当でした。どちらかというと日々起きているニュースを追いかけるのではなく、深掘りする取材が多かったですね。取材をして映像を撮って、ときには編集も自分でやりました」

 初任地は和歌山、そして東京・渋谷、静岡と3局で仕事をした。取材者として、その地域ならではの出来事を学ぶ機会も多かったという。

「NHKの場合、東京では専門分野に分かれますが、ローカル局ではオールジャンルを担当します。和歌山と静岡では、日々のストレートニュースは担当しないのですが、グルメ特集とか、和歌山だと〈東南海地震対策の今〉といった特集を組むなどです。

 和歌山と言えば南紀白浜のアドベンチャーワールドがありますが……私が一番詳しいのは、ジャイアントパンダなんです。出産子育てに3年間密着して、なぜパンダが絶滅危惧種なのかなど、中国の現状を現地取材に行くなど、研究者に近い感じでした。どちらかというとスポーツよりもパンダの方が詳しいかもしれません(笑)。多分、日本で一番パンダに詳しい取材者だと思います」

 こうした思い出とともに、番組制作の実績を積み重ねていった。

「7~8本は番組を作りました。エンターテイメント系とかバラエティーはあまりなく、報道やスポーツ、ドキュメンタリーなど自分の趣味嗜好に合った番組制作に携わって、その後、東京・渋谷でスポーツの部署に配属されました。ちょうど東京オリンピック前だったので、どちらかというとプロスポーツよりアマチュア、オリンピック競技に関わりました。陸上短距離が中心で卓球、高校野球やプロ野球も少し手がけました。ここでも日々の試合結果などの取材ではなく、オフシーズンに特集企画を作っていました」

スポーツ取材も“イチから勉強する”スタイル

 NHKのディレクターは、どんなテーマであっても自身で情報を仕入れて取材をし、番組を作ることを求められる。

「特に地方にいるときは、知らない分野もイチから勉強して作るという形で、最終的にはよく知っている分野よりも、知らない分野の方が先入観なく作れるぶんだけ、やりがいを感じるようになりました。スポーツでも“野球をやっていたから”“陸上をやっていたから”ではなく、何事でもイチから勉強するのがNHKのスタイルですね。もちろん、取材に行く前は取材対象をかなり勉強してから行きました」

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