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格闘技PRESSBACK NUMBER
「金原からサインもらったけど、別にいらねぇよ」格闘技界でもオジさんは生きにくいのか? “KIDに勝った男”金原正徳40歳の告白
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/04/28 17:00
2009年の大晦日、山本“KID”徳郁に勝利した金原正徳。しかし格闘技人気が下火になっていたこともあり、スターダムに駆け上がることはなかった
「自分の名前が掲載されていただけでも、うれしかったですね。いまでも実家に戻ったら、当時の雑誌が残ってます。自分が掲載されてる号は全部保管してますね。場所をとらないという意味ではWebの方が全然いいけど、やっぱり紙の良さは絶対にありますよ」
「握手してください」憧れの存在だったKIDに勝利
その後、時代の移り変わりとともに格闘技を報じる媒体の主流はWebへと移行していく。金原もネットとの付き合いは古い。彼のスマートフォンには、2006年4月30日に初めてブログを投稿したという記録が残っていた。リングスの旧スタッフが立ち上げに参画したZST(ゼスト)に出ていた頃の話だ。
「その頃、参加型のWebコンテンツはブログとミクシィくらいしかなかった。ZSTの代表の方に『自分をもっと知ってもらうためにやりなさい』と薦められて書くようになりました」
実はいまでも金原はブログを書いている。
「YouTubeで喋ったりするのは現代っぽいけど、昔ながらに自分の言葉で発信することも大事にしたい」
金原は、現在と過去の「選手とファンの距離感の違い」をひしひしと感じている。
「昔はKIDさんだったり魔裟斗さんだったり、地上波のテレビで活躍している人たちを生で見たら、ファンはみんな『オ~ッ』となっていましたよね。いま朝倉未来を生で見ても同じことを感じるのかもしれないけど、やっぱり未来の方が『近い』というか、親近感が湧くんじゃないかな」
まだ金原が新人だった頃、あるクラブでKIDと遭遇したことがある。金原は感動と興奮のあまり、「握手してください」と右手を差し出したという。
「普段は絶対会えないし、テレビの中の人だったからでしょう。特別感がありましたね」
憧れの対象だったKIDと直接対決するチャンスを得たとき、金原は27歳。ドン・キホーテの子会社が運営する格闘技イベント「戦極-SENGOKU-」(のちのSRC)の初代フェザー級王者に君臨しており、年齢的に最も尖っている時期だった。
「自分が一番強いと思っていました。KIDさんとの試合のときでさえ、『自分が負けるわけないじゃん』と」
KIDから勝利を収めると、金原に対する周囲の評価は一変した。
「街を歩いていると、『あっ、KIDに勝った奴だ』みたいな感じで、僕の名前を知らないけど声をかけてくる失礼な奴が多かった(笑)。対照的に、いまは本当に自分のことを好きな人しか声をかけてこなくなりました」