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格闘技PRESSBACK NUMBER
「金原からサインもらったけど、別にいらねぇよ」格闘技界でもオジさんは生きにくいのか? “KIDに勝った男”金原正徳40歳の告白
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/04/28 17:00
2009年の大晦日、山本“KID”徳郁に勝利した金原正徳。しかし格闘技人気が下火になっていたこともあり、スターダムに駆け上がることはなかった
格闘技の“冬の時代”の犠牲者に
KID戦後は海千山千の“タニマチ”も急増した。
「食事とかいろいろなところに連れ回されました。あのときはまだテレビ(※テレビ東京系で情報番組がレギュラー放送されていた)もやっていたので、それなりに知名度もありましたからね。KIDさんに勝ったときは特にそうだった。連れ回されることも嫌いではなかったし、それはそれで楽しかった。あのときは自分もちょっとだけ変わった気がします」
金原と対戦したときのKIDは、右膝前十字靭帯の断裂や左手首の骨折などのケガが響き選手として下り坂にあった。それでもカリスマ性は健在で、日本格闘技界の顔といってよかった。KIDに勝った金原も、「ちょっとだけ」ではない人気が出ていておかしくなかったが、そうはならなかった。KID戦の2年前にPRIDEが活動を休止し、日本の格闘技マーケットの熱が急速に冷めていったことも無関係ではあるまい。ある意味で、金原は“冬の時代”の犠牲者だった。
ブログを更新し続けていると、ドキッとするコメントを目にすることもあった。
「あっ、まだブログをやっていたんですね」
書き込んだ当人に悪気がないことはわかっている。金原もアーティストのブログを発見して、「あっ、この人はまだ歌っているんだ」と思うことがあるので、その感覚はよくわかった。
「確かに昔に比べたらメディアに出る機会は減っているけど、第一線で頑張っているという気持ちは変わらない。だから、自分で発信していかないといけないんでしょうね」
かつてはTwitterも頻繁に利用していたが、「あまりにもファンとの距離感が近すぎる」と思ったのでアカウントを停止した。金原は「当然ですけど、自分の悪口を書かれたりするのはイヤでしたね。やっているときは定期的にエゴサーチもしていました」と思い返す。
「一番傷ついたのは、RIZINの会場に所(英男)さんの試合を見に行ったときですね。サインを頼まれたので書いたら、『金原からサインもらったけど、別にいらねぇよ』というツイートを目にしてしまった。本当にその人かどうかはわからないけど、そのときに『こんな書き込みを見ることにどんなメリットがあるんだ?』と疑問を抱いてしまったんです」