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大谷翔平の二刀流開花、WBC名采配…栗山監督の“信じる力”「色メガネで見るのは嫌いなんだ」「根本さんに『少しは頑張っているな』と」
posted2023/04/15 11:01
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Nanae Suzuki
<名言1>
少し発想を変えることで選手は大きく変化する。色メガネで見るのは嫌いなんだ。
(栗山英樹/Number795号 2012年1月12日発売)https://number.bunshun.jp/premier/articles/10755
◇解説◇
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での栗山監督の采配で鮮烈な印象に残ったのは“選手を信頼しきる”、“先入観を取っ払う”スタイルだ。初の日系選手となったラーズ・ヌートバーを1番打者の切り込み隊長で定着させ、序盤戦に安打が出なかった村上宗隆や岡本和真を辛抱強く使い続けた結果、2人は決勝トーナメントでの殊勲打を放った。
そしてアメリカとの決勝戦ではマイク・トラウトやポール・ゴールドシュミットらメジャーの超一流スラッガー相手に、先発の今永昇太から戸郷翔征、高橋宏斗、伊藤大海、大勢と次代のエース格でつなぎ、最後はダルビッシュ有、そして今大会でも投打二刀流の大活躍を見せた大谷翔平のリレーで栄冠を掴み取った。
敬愛する“三原マジック”のように
「NumberWeb」で采配を検証したデータ記事によると、栗山監督は投手陣ではコンディション不良だった栗林良吏と途中合流の山﨑颯一郎以外の14投手をまんべんなく登板させた。さらに野手陣もヌートバー、近藤健介、大谷翔平、吉田正尚と上位打線を固定しつつもすべての選手に「3試合以上」の出場機会を与えていた。
まさに“マジック”といっていい采配ぶりだったが、自身にとって監督業1年目の2012年、日本ハムでいきなりやり繰りを考えることになった。その年の1月に絶対エースだったダルビッシュがメジャー移籍し、前年にドラフト指名した菅野智之も入団することはなかった。それでも「プロにいる選手はそれなりの力があるからスカウトの目に留まった」と語り、吉川光夫や中田翔の台頭を導いて新人監督にしてパ・リーグ制覇を成し遂げた。
ちなみに日本ハム時代につけた背番号80は、栗山監督が指導者として敬愛してやまない三原脩がヤクルト時代に背負っていた番号にちなんでのことだったという。先入観を持たずに人を使った名采配に一歩でも近づきたいという思いがそこにはあったのだろう。
40歳になるベテラン稲葉に「稲葉らしくやってくれ」
<証言1>
(栗山)監督にはこう言われました。「小細工は必要ない。思い切って、好きなように、稲葉らしくやってくれ」と。それですごく気持ちが楽になったんです。
(稲葉篤紀/Number813号 2012年9月27日発売)
◇解説◇
栗山監督の采配が日本ハム時代から一貫したものだったのは、侍ジャパン監督の前任である稲葉篤紀(現日本ハムGM)の11年前の言葉からも分かる。彼が「Number」の取材に応じた時点で日本ハムは優勝へと近づきつつあったが、本人の中ではこのような心境でシーズンに臨んでいたという。