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「仕事は過酷、給料はカツカツ」二軍時代は苦労も…それでも諦めなかった“日本一のブルペン捕手” 13年オリックスを支えた瓜野純嗣の野球人生

posted2023/04/10 11:01

 
「仕事は過酷、給料はカツカツ」二軍時代は苦労も…それでも諦めなかった“日本一のブルペン捕手” 13年オリックスを支えた瓜野純嗣の野球人生<Number Web> photograph by Sumitsugu Urino

日本一になった翌日、13年間在籍したオリックスを離れる決断をしたブルペン捕手・瓜野純嗣(左から2番目)。長年、共に戦った平野佳寿や同じくチームを去るスタッフと写真に収まった

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

PROFILE

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Sumitsugu Urino

 昨季、26年ぶりの日本一を達成したオリックス・バファローズ。その躍進を陰で支えてきたのが、13年間チームに在籍したブルペン捕手・瓜野純嗣(うりの・すみつぐ/38歳)だった。
 今季から活躍の場所をソフトバンクに移した男は、なぜ信頼を勝ち取ることができたのか。なぜブルペン捕手という道を選んだのか。NumberWebでは、その軌跡に迫るべくインタビューを行った。全2回の1回目(#1から読む)

「日本一のブルペンキャッチャーになる」

 昨年まで13年間オリックスでブルペン捕手を務めた瓜野純嗣は、「裏方のプロフェッショナル」を目指し突き進んできた。

 昨年、オリックスは日本一に輝いたが、自身は「まだ違う。まだ足りないものだらけ。ここまでやっている人はいない、という自覚はあります。でもまだ足りない。技術的にも精神的にも」と満足しない。

 そんな熱い男も、野球から離れたことがあった。

 高校時代は部員が100人を超える強豪校で主将を務めたが、体罰も辞さない厳しい指導に疲弊し、野球の楽しさを忘れてしまった。大学でも野球部に所属したものの熱が入らず、退部し、大学も中退。車の整備の仕事に就き、約3年間、野球とは一切関わらなかった。

ベテラン投手の指摘「テンポ悪すぎ」

 だがある日、福岡のテレビ番組の企画で、萩本欽一さんが率いる茨城ゴールデンゴールズと試合をするために即席チームを作ることになり、そのトライアウトが行われることになった。瓜野は地元の友達に誘われ、軽い気持ちで参加した。

 3年間のブランクがあったが、瓜野は最終選考まで残った。しかし最後に落とされ、しかもその時、同じトライアウトを受けていた社会人野球のベテラン選手に「お前のキャッチング、テンポ悪すぎんだよ」などとこき下ろされた。

 それが、眠っていた負けん気に火をつけた。「見返してやる」。それからプレーヤー復帰を目指し、本格的にトレーニングを始めた。

 それまでの仕事を辞め、朝5時から5時間、病院食を作る厨房でアルバイトをして、その後は練習。日ごとに様々なチームや球場を回った。

「最初は2キロも走れなくて(苦笑)。まずは10キロ走れるようになるという目標を設定しました」

 練習を再開して約1年後、独立リーグ・福岡レッドワーブラーズのトライアウトを受け、合格した。

【次ページ】 ようやく見つけた活躍の場所が“消滅”

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