野球クロスロードBACK NUMBER
「お前、今いい目してるね」西岡剛が明かす“イチローさんの激励”…21歳だったWBC、阪神でリハビリ中に…「自分の成長を感じられる」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/03/06 11:01
イチローの存在、世紀の誤審、奇跡の準決勝進出……西岡剛が第1回WBCの舞台裏を明かす
「お土産の袋を両手にぶら下げてホテルに帰ってきたら、それだったんで(笑)。驚いたっていうより、『また試合できるんや、ラッキー!』ってテンション上がりましたよね」
九死に一生を得た日本は、傷つきながらも第1回WBCの頂に日の丸を立てた。
不動の2番で…「人生が変わった」
全試合で「2番・セカンド」として出場した西岡は、打率3割5分5厘、チームトップの5盗塁を記録した。小技に走塁と、きめ細やかな野球は「スモール・ベースボール」と称賛されたが、本来、繋ぎ役を求められる2番バッターの西岡の送りバントはゼロ。そのバットと脚は、最後まで勇猛果敢を体現した。
歓喜のシャンパンファイト。
「今日はとことんやろうぜ!」
野球の母国、アメリカからも「世界の王」とリスペクトされる日本の監督がはじける。西岡もシャワーの如く降り注ぐ泡に酔いしれた。21歳の若者の夜が、更けていく――。
「とことんやってないですよ。試合が終わった時間が遅かったし、アメリカの土地勘ないんで、ホテルに帰ってすぐ寝ました(笑)」
手探りで、半ばイベント感覚の認識から始まった大会。でも、終わってみればWBCによって「人生が変わった」と西岡は頷く。
日本に戻ると、ロッテの顔となった。10年には首位打者となり、3位から日本一となる「最大の下克上」の象徴となった西岡は、翌11年からミネソタ・ツインズに移籍し、WBC以来となるアメリカでプレーした。
デイビッドソンとの再会
ある試合で出塁すると、塁審に見覚えのある顔がいた。忘れもしない、デイビッドソンである。
「マイ・バッド!」
西岡も旧知の友に出会ったような笑顔を見せ、「オーケー、オーケー」と返す。
そこには、遺恨など存在していなかった。
「もう過ぎたことなんで、とっくに水に流してますよ。むしろ、いい思い出じゃないですか。さほど『西岡剛』って選手を知られてなかった時に、あれで名前が売れたんで」〈つづく〉
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。