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《武藤敬司60歳、引退試合直前!》 盟友・蝶野正洋が真っ先に思い出す”武藤との一騎打ち”とは?「一番くらって嫌だった技は…」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/02/21 11:11
かつて闘魂三銃士としてともに戦った蝶野正洋が、同期でありライバルでもあった武藤敬司について赤裸々に語った
「ヒロ(斎藤)さん、天山(広吉)をチームに入れるからと(nWoメンバーのケビン・)ナッシュと(スコット・)ホールに伝えたら、アイツら“ダメだ”と言うんだよ。理由を聞いたらメンバーになるにはトップレスラーで、クールでなくちゃいけない、と。マサ(斎藤)さんに声を掛けようとも思ったけど、トップレスラーであってもクールかと言われたら、うーん。そうなると武藤敬司しかなかったんだよ。WCWに上がるときはムタで、新日本では武藤で。最初は俺1人で日本とアメリカを掛け持ちでやっていたが、体がさすがにもたない。武藤さんを引き入れたことは俺にとっても大きなメリットだったね」
日本でもnWoブームが巻き起こって、Tシャツなどグッズが飛ぶように売れた。蝶野と武藤の2大トップはとにかくクールで、スタイリッシュ。彼らを中心に新日本マットは回っていた。
あるときは敵であり、あるときは味方であり。
どちらかの関係性であっても長く継続させないのがこの2人だ。首のケガによる長期離脱から復帰した蝶野は「チーム2000」を結成して今度は武藤との抗争に入る。組むにしても戦うにしても、とにかくお互いは常に意識する存在であったことは言うまでもない。
武藤の全日本移籍が明るみに。そのとき蝶野は…
しかしながら――。
決別のときがやってくる。2001年、WCWから新日本に復帰した武藤は格闘技との融合路線にソッポを向くように全日本プロレスへの参戦を続けて3冠ヘビー級王座を奪取。10月には蝶野がその挑戦者として全日本に上がっている(結果は武藤の防衛成功)。
「武藤さんが新日本の方向性を嫌がって救済という名目で全日本に行き場を求めたのは分かっていた。3冠挑戦で俺が全日本に行くっていうのは正直納得してなかった。あの人にうまく使われるんじゃないかってやっぱり思っていたから」
蝶野の目から見ても武藤は王道色にどんどん染まっていた。そして年が明けた2002年1月、武藤は新日本を退団。小島聡、ケンドー・カシン、数人の社員とともに全日本へ“集団移籍”することが明るみに出た。
13年ほど前になるだろうか。この騒動を蝶野に尋ねたことがある。不愉快そうにこう語っていた。