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《武藤敬司60歳、引退試合直前!》 盟友・蝶野正洋が真っ先に思い出す”武藤との一騎打ち”とは?「一番くらって嫌だった技は…」
posted2023/02/21 11:11
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
両国は暑く、熱かった。
蝶野正洋が武藤敬司との数ある一騎打ちにおいて、真っ先に思い起こすのが1991年8月11日、「第1回G1クライマックス」優勝決定戦だという。
蝶野はBブロックで同点だった橋本真也との優勝戦進出決定戦に勝利してからAブロック1位武藤の待つ優勝決定戦に臨むことになった。蝶野は2試合目、さらに対戦成績も過去14戦やって1勝しか挙げていないデータもあって圧倒的不利が予想された。
だが蓋を開ければ“奥の手”トペ・スイシーダを繰り出すなどノリノリで、最後は武藤のムーンサルトプレスをひざで迎撃してからのパワーボムで3カウント。よもやの「大穴」の優勝に両国国技館は座布団が舞った。
蝶野が振り返る。
「メインイベントを藤波(辰爾)さんでも、長州(力)さんでも、(ビッグバン・)ベイダーでもなくて、闘魂三銃士の2人が務めて成立するのかっていう不安というか、責任というか凄く重たいものがのし掛かった。それは武藤さんも同じだったと思う。数年前には実際にこの場所でファンの暴動が起こっているんだから。
だけども自分たちができることを試合でやるしかない。試合のことはほとんど思い出せない。精いっぱいやるしかなかったから」
武藤からくらって嫌だった技とは?
試合後は橋本もリングに上がって2人の手を上げ、暴動どころか拍手の嵐。三銃士時代の到来を告げる新日本プロレス史に残る一戦となった。
武藤から食らって嫌だった技と言えば、迷わずムーンサルトプレスを挙げる。
「あの大きな体で上からドカンだから、そりゃあ嫌だよ。たまに距離がズレて膝が突き刺さるとかなり痛かった」
ヒールターン以降は戦うことが多くなったが、nWoジャパンを結成してからは逆に引き入れてタッグを組んだ。