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《武藤敬司60歳、引退試合直前!》 盟友・蝶野正洋が真っ先に思い出す”武藤との一騎打ち”とは?「一番くらって嫌だった技は…」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2023/02/21 11:11

《武藤敬司60歳、引退試合直前!》 盟友・蝶野正洋が真っ先に思い出す”武藤との一騎打ち”とは?「一番くらって嫌だった技は…」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

かつて闘魂三銃士としてともに戦った蝶野正洋が、同期でありライバルでもあった武藤敬司について赤裸々に語った

《猪木さんが戻ってきて、総合格闘技だ、なんだって振り回されていた。だけど俺は現場主義というか、総合格闘技が面白いのか、プロレスが面白いのか、リング上でやりあえばいいと思っていた。現場での嫌がらせは、現場で返せばいい、と。そこでぶつかるのが新日本だと思っていたし。レスラーたちの不満の声に対して、武藤選手と俺が前に出てリングのなかでぶつけていけばよかった。猪木さんと勝負できたはずなのに、そこでポーンといなくなってしまう。総合格闘技の勢いが増しているときに、身内で分散なんかしている場合じゃなかった。そんなことが分からないとは思っていなかったから頭にきたよ》

 かなり怒っていたように見えた。当時のそんな感想を伝えると、蝶野は苦笑いを浮かべた。

「まあ、この後が大変だったから」

 ボソッと一言吐いてから間を置いた。

武藤のみならず、猪木にも「してやられた」

 騒動下にあった2月の札幌大会。蝶野は試合後にアントニオ猪木を呼び込んで責任を押しつけて路線変更させるつもりが、逆に「プロレス界全部を仕切る器量になれ!」と現場責任者を押しつけられた。武藤のみならず、猪木にまでも「してやられた」のだ。対外的には黒の総帥であっても、まったくクロくない。まさにガッデム。

「俺が新日本の現場を請け負う気持ちなんてサラサラなかった。あの場で猪木さんにマイクを持たせてお膳立てだけするつもりだったのに、あんな切り返しがあるとは思わなかった」

 5月には新日本設立30周年記念興行の東京ドーム大会が待っていた。マッチメークも担うことになった蝶野はプロレスリング・ノアのエース、三沢光晴を引っ張り出してシングルマッチにこぎつけ、大会を成功させている。格闘技融合路線ではなく純プロレスで勝負し、評価を勝ち取ったことに意義があった。無論、武藤に対する意地もあった。

 全日本に渡った武藤とは明確に距離を置いていた。とはいえ“一寸先は闇”がプロレスの世界であることは誰よりも理解している。騒動から1年を過ぎたら「もう時効」と切り替えて、トークショーにも応じて武藤、ZERO-ONEで活動する橋本とも顔を合わせた。いつの日かまた3人で同じマットに上がることを、蝶野は頭の片隅に入れていた。

闘魂三銃士が揃った場で、蝶野が”秘めていたプラン”

 チャンスが訪れたのは2005年5月の新日本東京ドーム大会だった。蝶野は試合をマッチメークされていた武藤に加え、ZERO-ONEの活動停止後にプロレスから遠ざかっていた橋本にも声を掛けていた。

【次ページ】 幻の”引退未遂”から18年を経て…

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