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「武藤敬司はやっぱり油断ならねえ」蝶野正洋が明かす武藤とのデビュー戦から闘魂三銃士結成まで「グレート・ムタにやられたなって(笑)」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/02/21 11:10
かつて闘魂三銃士としてともに戦った蝶野正洋が、同期でありライバルでもあった武藤敬司について赤裸々に語った
「同期では武藤さんが一番早くデビューすると思っていた。だけど同じく格闘技のキャリアがあるブッチャー(橋本)と笹崎(伸司)さんが先にデビューする形になった。今度こそ武藤さんだろうなと思ったし、格闘技経験のない俺とかは1年先くらいだろうな、と。そしたらまさかという感じ。維新軍と絡んだカードが飛んでしまって、開幕戦はテレビ中継も入っていたから会場はもうバッタバタで。控え室に貼られてあった(対戦)カードを見たら、第1試合に武藤さんの名前が書かれてあったけど、相手のところは空白になっていた。そうしたら試合の30分前になって武藤の相手がいないとなって“お前、パンツとシューズ持っているか”と聞かれて、“持ってます”と。それで急に駆り出されて心の準備もないままリングに上がった。相手の武藤さんを見てる余裕なんてなかったよ。マットしか見てなかったんじゃないかな」
8分27秒、逆エビ固めで武藤の勝利。ここから2人の、いや橋本を交えた3人のライバルストーリーが始まったのだった。
「リーダ格だけど、リーダーっぽくはなかったな」
武藤はデビューから1年後、異例のスピードでアメリカ・フロリダへ武者修行に出発。ホワイト・ニンジャのリングネームでタイトルを獲得するなど出世して凱旋すると、「スペースローンウルフ」として新日本も新しいスターの売り出しに掛かる。
それでも蝶野に焦りも、ジェラシーもなかった。自分たちの世代のリーダー格であることは認めていたからだ。映画「光る女」の主演に抜擢され、橋本、船木らと一緒に撮影の現場に出向いて激励したこともある。
「リーダー格ではあるんだけど、リーダーっぽくはなかったな。道場の寮長は俺だったし(笑)。先輩に何か言われても、壁になることもない。まあ、おいしいところは全部持っていく人だから」
蝶野は入門から3年後の1987年3月、若手の登竜門であるヤングライオン杯に優勝して、欧州へ武者修行に出向くことになる。その後、カナダ・カルガリー、アメリカ・カンザスシティなど転戦しながらキャリアを積み上げていき、カンザスではトップに食い込んでいく。武藤も橋本も同じく海外に渡っていた。