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「殺されても行く」アントニオ猪木と北朝鮮を訪問、家族は「遺言書を書いて」…猪木に魅せられたパティシエの夢物語と“傑作チーズケーキ”
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/20 11:02
アントニオ猪木が愛した『デリチュース』のチーズケーキ。その断面図は美しく、口にすると思わず顔がほころぶ逸品だ
クリスマスイブに電話で突然「元気ですか!」
新しくオープンすることになった守口プリンスホテルに移った長岡さんは、31歳でシェフパティシエになった。
「実力はまだありませんでした。夢中で仕事を続けるうちに、16年が過ぎていました」
独立したのは47歳だった。バブルがはじけて利益が出なくなり、ホテルでは思うようなものが作れなくなっていた。
「50歳を過ぎていたら、独立はしなかった。でも、60歳まであと13年もあったので」
長岡さんは2002年、箕面市に20坪の店『デリチュース』をオープンした。2008年には、すぐ近くだが現在の場所に移転。売り場よりも広い調理場のある、大きな店を作った。
猪木と出会うきっかけは15、6年前のことだ。
「懇意にしてもらっている知人と話していたら、『昨日、猪木さんに会っていた』という話が出たんです。猪木さんのファンだと伝えると、そんなに好きなら紹介するよと電話してくれた」
間もなく東京でIGFの試合があったので、両国国技館に行って控室を訪ねた。
「広い部屋のソファに猪木さんが座っていて、せっかく会えたのに、そのオーラに圧倒されて何もしゃべれなかった。『はい、写真撮りましょう』とパチパチと撮ってもらいましたが、一瞬ですよ。『ちゃんと撮れたのかな』と心配でした。いや、きれいに撮れていましたよ(笑)」
大阪に戻り、長岡さんは猪木にお礼のはがきを書いた。
「もうそれだけで満足で、交流は終わりだと思っていました」
しかしクリスマスイブの日、猪木から突然、電話がかかってきた。
「元気ですか! これから大阪に行くんで、今夜、一緒に食事をしませんか」
夢のような誘いだった。
「ケーキ屋なので、クリスマスイブは大忙しですよ。休んだことはないし、店を空けるわけにはいかないなと思った。でも、お店のみんなが『こんなチャンスはないから行ってください』と言ってくれた」
19時に着くように店を出た。だが、イブの夜に車を運転したことがない長岡さんは御堂筋の大渋滞に巻き込まれてしまう。いきなり30分以上も遅刻してしまった。猪木たちはテーブルで食事を始めずに待っていてくれた。
「猪木さんを待たせる人なんていませんよね。その日は、さすがに緊張で落ち着けなかった。大汗をかいた思いでしたよ。中華でしたが、ほとんど食べられなかった。その後、猪木さんにホテルのバーに連れて行ってもらって、やっとお話ができました」