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「迷わず行けよ、ユッケばわかるさ」アントニオ猪木が行きつけの焼肉屋で見せた“かわいい姿”とは? 病床で目を輝かせた“豚足秘話”も
posted2023/02/20 11:01
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
◆◆◆
「タレはいっしょか?」
青いスーツに赤いマフラーのアントニオ猪木が入ってきた。東京の麻布十番にある焼肉店『一番館』の店主・江原静江さんは「全部同じです」と答えた。
「いきなりドキッとしちゃった。ちょっと怖いと思いました。でも、すぐファンになっちゃいました(笑)」
江原さんの「いらっしゃいませ」という言葉に返ってきたのが、猪木の「タレは(六本木の店と)いっしょか?」だったという。
「猪木さんが座っていた椅子で泣き崩れる人も…」
猪木がこの店に来るようになったのは15年ほど前からだった。それ以前は六本木ヒルズのそばにあった『一番館』の2号店に通っていたが、2号店が場所を他に譲って閉店したので、本店に移動してきたのだ。
たしかに「アントニオ猪木」という予約は入っていた。だが、江原さんはプロレスを見ないし、猪木がどんな人かはほとんど知らなかった。
この店には猪木ファンも多く来店していて、その日はサラリーマンが数人で「猪木会」という名の飲み会まで開いていた。
みんなでワイワイ騒いでいるところに、おもむろにアントニオ猪木が入ってきて、向かいのテーブル席に座った。
本物の登場に、サラリーマンたちは水を打ったように静かになってしまった。猪木たちが食事を済まして先に帰ると、「猪木だあ、本物だあ」と涙を流さんばかりに喜んでいたという。
猪木の死は、そんな熱烈なファンにショックを与えた。いまだ“猪木ロス”を抱えている人も少なくない。
「そこの席の左脇に扇子を置いて、ガラケーをテーブルに置いて座るんですけれど、すごくフレンドリーでチャーミングなんです。昨年10月に亡くなった直後は、猪木さんがいつも座っていた椅子で泣き崩れる人もいました」
江原さんは、椅子にしがみつくアクションでその時の模様を再現してくれた。
「迷わず行けよ、ユッケばわかるさ」?
昔から猪木はユッケが大好きだった。1980年代に川崎の焼肉店の店主から聞いた話では、若いときの猪木はどんぶりいっぱいのユッケを大きなスプーンですくって食べていたという。
世間を騒がせた食中毒の事件があって、法律でユッケの提供には厳しいハードルが設けられることになった。猪木は怒っていた。