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「迷わず行けよ、ユッケばわかるさ」アントニオ猪木が行きつけの焼肉屋で見せた“かわいい姿”とは? 病床で目を輝かせた“豚足秘話”も

posted2023/02/20 11:01

 
「迷わず行けよ、ユッケばわかるさ」アントニオ猪木が行きつけの焼肉屋で見せた“かわいい姿”とは? 病床で目を輝かせた“豚足秘話”も<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木が愛した麻布十番『一番館』の豚足。店主の江原静江さんは「猪木さんは豚足を焼いていました」と回想する

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

2023年2月20日に生誕80周年を迎えた故・アントニオ猪木さん。昨年10月1日に79歳でこの世を去った燃える闘魂は、世界中の“うまいもの”を味わい尽くした美食家でもあった。50年間にわたって猪木さんを撮り続けたカメラマン・原悦生氏が、「アントニオ猪木が愛した味」をNumberWebで紹介する。(全5回の3回目/#1#2#4#5へ)

◆◆◆

「タレはいっしょか?」

 青いスーツに赤いマフラーのアントニオ猪木が入ってきた。東京の麻布十番にある焼肉店『一番館』の店主・江原静江さんは「全部同じです」と答えた。

「いきなりドキッとしちゃった。ちょっと怖いと思いました。でも、すぐファンになっちゃいました(笑)」

 江原さんの「いらっしゃいませ」という言葉に返ってきたのが、猪木の「タレは(六本木の店と)いっしょか?」だったという。

「猪木さんが座っていた椅子で泣き崩れる人も…」

 猪木がこの店に来るようになったのは15年ほど前からだった。それ以前は六本木ヒルズのそばにあった『一番館』の2号店に通っていたが、2号店が場所を他に譲って閉店したので、本店に移動してきたのだ。

 たしかに「アントニオ猪木」という予約は入っていた。だが、江原さんはプロレスを見ないし、猪木がどんな人かはほとんど知らなかった。

 この店には猪木ファンも多く来店していて、その日はサラリーマンが数人で「猪木会」という名の飲み会まで開いていた。

 みんなでワイワイ騒いでいるところに、おもむろにアントニオ猪木が入ってきて、向かいのテーブル席に座った。

 本物の登場に、サラリーマンたちは水を打ったように静かになってしまった。猪木たちが食事を済まして先に帰ると、「猪木だあ、本物だあ」と涙を流さんばかりに喜んでいたという。

 猪木の死は、そんな熱烈なファンにショックを与えた。いまだ“猪木ロス”を抱えている人も少なくない。

「そこの席の左脇に扇子を置いて、ガラケーをテーブルに置いて座るんですけれど、すごくフレンドリーでチャーミングなんです。昨年10月に亡くなった直後は、猪木さんがいつも座っていた椅子で泣き崩れる人もいました」

 江原さんは、椅子にしがみつくアクションでその時の模様を再現してくれた。

「迷わず行けよ、ユッケばわかるさ」?

 昔から猪木はユッケが大好きだった。1980年代に川崎の焼肉店の店主から聞いた話では、若いときの猪木はどんぶりいっぱいのユッケを大きなスプーンですくって食べていたという。

 世間を騒がせた食中毒の事件があって、法律でユッケの提供には厳しいハードルが設けられることになった。猪木は怒っていた。

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