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プロ野球PRESSBACK NUMBER
元DeNA倉本寿彦の告白…“1つのエラーで急増した”バッシングに「心が痛まなかったわけじゃない」あの“セカンド転向”に何を思ったか
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/02/21 11:02
昨年、横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受けた倉本寿彦、32歳。在籍8年間をNumberWebの取材で振り返ってもらった
シャットダウンすることで自らの核を守った。だが、だからといって無傷だったわけではない。倉本はこうも言った。
「そういうものが目や耳に入ってくることはありました。また言われてる、さすがに言われすぎなんじゃないかって感じることもありましたよ。やっぱり人間なので、心が痛まなかったわけじゃない。でも、プロ野球選手である以上は、それもしっかり受け止めなきゃいけないと思っていました」
出場試合数は、18年が85試合(スタメン55試合)、翌19年は24試合(同5試合)。本人が「いちばんきつかった」と語るように、最も深い谷に落ちた2年間だった。
好転しかけた20年。しかし…
チームの方針は理解していて、遊撃手への愛着はあれど、求められればどこでも守るつもりでいた。そうするしかない現実もあった。だが、この時期、求められているという感覚を得られないことがつらかった。
「調子が良くても使ってもらえないし、出たら絶対やれると思ってるし。だから『なんで使ってくれないの?』という葛藤はありました。そのころから、(チームの戦略構想から)外れてるのかなって感じるようになりましたね。『おれ、このまま(戦力外まで)行くのかな』って」
新型コロナウイルスの蔓延に伴う混乱の中で幕を開けた20年、倉本は息を吹き返した。序盤は途中出場が多かったが、しぶとい打撃で率を残すと、監督就任5年目を迎えていたラミレスは倉本にスタメンの機会を多く与えた。「まだやれる」。そんな手応えとともに、戦いの場に立っていられる幸せを噛みしめていた。
ところが、再起に向けた道のりは早々に断たれる。
20年限りでラミレスは退団し、新監督に三浦大輔が就任。気持ちを新たに臨んだ21年のシーズン序盤、倉本は一塁にヘッドスライディングを試みた際に左手を負傷し、一軍の舞台から姿を消したのだ。〈つづく〉
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