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「誰も挨拶にこない」ボヤく野村克也に江本孟紀が直言「そりゃ来まへんで、あんた嫌われてるのに」非難・称賛を越えた“本当のノムラ論”

posted2023/01/17 11:02

 
「誰も挨拶にこない」ボヤく野村克也に江本孟紀が直言「そりゃ来まへんで、あんた嫌われてるのに」非難・称賛を越えた“本当のノムラ論”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

交友歴48年に及ぶエモやんが“ノムさんへの複雑な感情”をありのまま解き放つ

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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BUNGEISHUNJU

「(野村克也は)死ぬまで僕の悪口を言ってました。南海で一人前にしてくれたし、尊敬していますけど、内心はこの野郎って思うじゃないですか。あんた、いつまで言ってるのって」
 野村克也の逝去から3年が経とうとしている。そんな中、南海ホークス・野村克也の選手兼任監督時代を知り、交友歴48年に及ぶ江本孟紀は、野村に過剰な称賛も不要な非難もしない。エモやんが“ノムさんへの複雑な感情”をありのまま解き放つ。(全3回の3回目/#1#2へ) ※敬称略、名称や肩書きなどは当時

◆◆◆

 人は言葉の端々に感情が入り交じる。その一つひとつには何らかの意味があるのではないか。江本孟紀は取材中、野村克也を10の呼び方で表した。

「野村さん」「ノムさん」「あの人」「野村」「あんた」「あなた」「親父」「おっさん」「自分」「ぐうたら男」

 これらの呼称は一体、どんな場面で何回出てきたのか――。

プロ2年目で野村率いる南海へ

 2人は不思議な関係である。

 江本は南海のエースとして4年連続2ケタ勝利を挙げた1975年オフ、阪神に移籍した。当時のトレードは球団や監督に捨てられるというイメージが強かった。それでも、引退後も野村と交友を続け、遺恨はない。

「たしかにトレードに出されましたけど、全然しこりはなかったですね。南海で4年働いて、優勝して日本シリーズにも出場できた。多少の寂しさはありましたけど、セ・リーグで巨人と対戦できて、憧れの長嶋(茂雄)さんの目の前で投げられる。むしろ嬉しかった。それに私自身、もともと東映から南海に来てますしね。(球界のエースである)江夏豊との交換とも聞いたから、満更でもなかった。そしたら阪神2、南海4という数の釣り合わないトレードだったんですけど」

 江本は1971年2月、熊谷組から急遽ドラフト外で東映フライヤーズへ。指名された社会人投手の入団拒否で1つ枠が空いたため、キャンプ中の契約となった。背番号49で0勝4敗に終わった1年目のオフ、野村選手兼任監督が指揮を執る南海に移籍する。

【次ページ】 “王貞治キラー”の裏に「野村の言葉」

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