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「お前たちと一緒に勝ちたい」勇退の駒澤大・大八木監督が伝えた、田澤廉への「最後の声かけ」の中身…“大恩師”の涙、応えたエースが見せた意地
posted2023/01/05 17:10
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
JIJI PRESS
走り終えた走者から、次の走者へ。襷の受け渡しが行われる箱根駅伝の中継所は、選手の個性が色濃くにじみ出る場所だ。
とりわけ花の2区から3区のランナーへと襷がつながる戸塚中継所では、各大学のエースが悲喜こもごもの表情を見せる。
区間賞の快走でトップを奪った中央大の吉居大和(3年)は若武者らしい清々しい笑顔を見せた。区間2位の好走を見せた青学大のエース近藤幸太郎(4年)もやりきったという表情だった。
対照的に苦しんで見えたのが、駒澤大の田澤廉(4年)である。襷を渡すと同時に倒れ込み、自力では起き上がれない。顔面は蒼白で、精も根も尽き果てた様子だった。
学生最強のランナーが苦しんだ舞台裏
学生最強と言われるランナーが、なぜあそこまで苦しんだのか。
しばらく経って、選手の待機場所に歩いて戻ってきた田澤は、こう言って走り終えたばかりのレースを振り返った。
「丸々走れない期間が1週間あって、ようやく走り出したのが2週間後だったので。うん、でもやっぱ、それを言い訳にするのはあれなので。区間賞を取れなくて監督に申し訳ない気持ちはありますけど、今日出せる力は出し切ったのかなと思います」
区間3位に敗れた理由にはしなかったが、昨年12月にコロナウィルスに感染し、2週間ほど走れない期間があった。チームが千葉県白子町で行った最終合宿にも姿はなく、一時は出場が危ぶまれるくらいだったという。
「でも、監督に2区を任せられるのは自分しかいないと言われて。なんとか急ピッチで仕上げました。ただ、この2区は練習を積んでいないと走れないというのは自分が一番よく知っていて、やっぱり肺へのダメージとか筋力が衰えたのもあって難しかったです。監督から『男だろ』って声をかけてもらいましたけど、今回ばかりは男になっても難しかったかな」