酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈あのドラフト目玉は今〉「今みたいにSNSがあったら、誹謗中傷の嵐では」一場靖弘40歳が語る“一場事件”の痛み「球場でヤジられると…」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/07 11:01
楽天に入団が決まった際の一場靖弘。ドラフトの経緯によって大きく野球人生が変わった
4月12日に昇格しローテの一角を担うが、7連敗。NPB加入1年目の楽天は戦力的にも弱体で、援護は少なかった。5月に二軍落ちし、結局1年目は2勝9敗1セーブ、防御率5.56だった。
2年目は開幕投手に指名され、前半戦だけで5勝を挙げるが、その後、成績は急落する。
「2年目に肩を壊したんです。インピンジメント症候群といって、投げるときに前腕部の骨が肩の骨に引っかかって、痺れが生じるという症状です。
自分のボールが投げられないし、気持ちが落ち込んでいるし、ダブルパンチでしたね。大学のシーズンは短期ですが、プロは長いシーズンを戦います。これまで肩を壊したことなかったのにやってしまって……リハビリもずっと続けていましたが、痛くない投げ方を模索しながら投げていたので、スピードが落ちる。コントロールもつかなくなる。
プロ入り後、球速は155km/hまで出ましたが、故障してからは全然能力が上がりませんでした。プロはもともと強靭なメンタルがないと無理です。余計な雑念があれば絶対に無理ですね。入団する前からメンタルをやられた僕が成功するのは無理だったのでしょう」
田尾監督、野村監督やサッチーの思い出とは
それでも楽天の指導者は、一場の境遇を思いやって声をかけてくれた。
「田尾(安志)監督はしっかりと話をしてくれました。二軍に降格になるときも、気持ちが落ちないように励ましてくれました。それに僕らの待遇を上げるために、フロントと結構戦ってくれました。寄せ集めのチームをまとめるのは大変だったと思います。1年で退任させてしまったのは、僕らがふがいなかったからです。
2年目からの野村克也監督は、あのままの方ですね。キャンプ中には『野村の考え』を抜粋してホワイトボードに書いていく。僕らはそれを書き写す作業から始まって、野村さんの考え方を学んでいく。考え方は意外とシンプルでいいんだな、と思いました。
今から思うと、野村さんの考えを自分の体にしっかり落とし込むことはできなかった。考えはわかっているんだけど、それを試合でできなければ叩かれる。その悪循環でした。
でも、息子さんの野村克則さんが明治大の先輩なので、監督もすごく気を遣ってくれて、克則さんを通じて僕に指示が来たりした。それからサッチーさん(沙知代夫人)からも僕に指示がありました。大学時代から知っていたんですね。監督の考えは、あとは新聞を介して伝わりました。新聞を読んで『ああ、監督はこんな風に思っているのか』と思ったりしました」
しかし2008年、4年目の一場はプロ入り以来初めて0勝に終わった。転機が必要な時期にさしかかっていた。
<#2につづく>
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