- #1
- #2
競馬PRESSBACK NUMBER
「ユキノビジン大ファンの母に厩務員の父が一目惚れして…」優希乃さんが語る“ユキノ”一家ヒストリー「妹の名前は“美人”にしようと…」
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph byKeiji Ishikawa(L)/Wataru Sato(R)
posted2022/12/17 17:02
ユキノビジン(左)が結んだ縁によって生まれた優希乃さん(右)。本人にファミリーヒストリーを聞くと…
「3人でユキノビジンとアイシャルテイオーのレースのビデオを見ながら年を越すんです。0時が近くなったら見始めて、見終わったら『あけましておめでとう』って言い合って。ビデオデッキが壊れる中学生くらいまで、ずっとやっていました」
よく「ベガの2着馬」として語られるユキノビジンと同様、アイシャルテイオーも「目黒記念2着」(勝ち馬はローゼンカバリー)で覚えられていることが多い。しかし清原家が年越しで見るのは、勝ったレースだった。
「ユキノビジンはやっぱり重賞のクイーンステークスが多かったですね。アイシャルテイオーも、湾岸ステークスはもう何度も見ました(笑)」
父に私の髪のアレンジをやってもらったことも。でも…
馬が大好きな優希乃さんは、夏休みには函館や新潟への出張についていくこともあった。厩舎に泊まり、利雄さんが馬の手入れをするところをずっと見ていた。
「父は馬を綺麗にしてあげることがとても好きでしたし、上手でした。ユキノビジンのたてがみの三つ編みも父がやったもので、私も教わりました。私の髪のアレンジを父にやってもらったこともあります。珍しいですよね。でも、普通は最後はヘアゴムで止めるんですが、父は馬と同じくビニールテープで止めるので、激痛でしたけど(笑)」
中学生くらいになると、担当馬の馬装を手伝うこともあった。
「蹴る癖のある馬は尻尾に赤いリボンを付けるんですけど、そこに勝負服と枠順の色で毛糸のポンポンを作って、クリップで付けてもらったりしていました」
そうやって年月は過ぎ、やがて利雄さんは優希乃さんが19歳となった2015年、定年で厩務員を引退した。その年、3人はユキノビジンに会いに、家族揃って北海道新冠町の村田牧場を訪れた。
<後編へと続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。