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競馬PRESSBACK NUMBER
「ユキノビジン大ファンの母に厩務員の父が一目惚れして…」優希乃さんが語る“ユキノ”一家ヒストリー「妹の名前は“美人”にしようと…」
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph byKeiji Ishikawa(L)/Wataru Sato(R)
posted2022/12/17 17:02
ユキノビジン(左)が結んだ縁によって生まれた優希乃さん(右)。本人にファミリーヒストリーを聞くと…
優希乃さんに妹、弟がいたら、名前は…?
「自分の名前の由来はずっと聞かされていたので、物心ついた頃にはもう理解していました。ちなみに男の子なら『優希(ゆうき)』、もし妹が生まれたら『美人(みどり)』にしようと思っていたらしいです。悪いことをすると、母からはよく『あなたの名前、誰から取ったか知ってるよね。そんなんじゃ名乗る資格ないからね』って、すごく特殊な怒られ方をしてました(笑)」
そう笑う優希乃さん。家にはユキノビジンの写真が飾られていたし、その存在は普通に生活に溶け込んでいるものだった。1歳になる直前には村田牧場で美枝さんに抱かれ、繁殖牝馬となったユキノビジンと「ご対面」も果たしている。
あなたのこと、愛おしそうな目で見てたよ
「母によると、ユキノビジンは既に子育てをしていたからなのか、すごく優しかったそうです。『あなたのこと、愛おしそうな目で見てたよ』って」
一人っ子の優希乃さんは、おとなしくて無口な利雄さんと、対照的によくしゃべる元気な美枝さんとの3人家族で、美浦の厩務員の社宅で育った。優希乃さんは、とにかく馬が大好きな子供だった。
「夕方、父が仕事を終えると電話をくれて、そうしたら母と一緒に厩舎へ行って馬と戯れてました。馬にあげるために土手へ行ってビニール袋いっぱいに刈ってきたクローバーをあげたりして。同級生も厩舎関係者はたくさんいましたけど、案外、馬が好きって子は多くはなくて、珍しい方だったかもしれません」
この頃、利雄さんの担当馬で活躍していたのがアイシャルテイオーだった。9歳まで息長く走って6勝を挙げ、1999年の目黒記念で2着に入るなどした。
「アイシャルテイオーとは仲良しでした。顎の力がすごく強くて、ニンジンをあげると、それを持った私ごと持ち上げて吊るされてました(笑)」
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そんな清原家では毎年、年末に独自のカウントダウンを行っていた。