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“平成のKOキング”坂本博之はなぜ畑山隆則に敗れ、何を学んだのか?「自分を怪物だと思っていた」22年前、伝説の日本人対決の真実 

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田中耕

田中耕Koh Tanaka

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photograph byKoh Tanaka

posted2022/12/16 17:00

“平成のKOキング”坂本博之はなぜ畑山隆則に敗れ、何を学んだのか?「自分を怪物だと思っていた」22年前、伝説の日本人対決の真実<Number Web> photograph by Koh Tanaka

2000年、WBA世界ライト級タイトルマッチの調印式。坂本博之(右)が王者・畑山隆則に挑んだ一戦は、日本ボクシング史に残る名勝負となった

 変化を付けたのは、ボクシングスタイルだけではなかった。入場行進の曲もドヴォルザークの「新世界より」から、モーツァルトの「交響曲第25番」に変更した。トランクスもシューズも、新たなバージョンで臨むことにした。坂本にとって、それらは過去3度の世界戦での敗戦を洗い流すためのイニシエーションだった。

 だが、“何か”がおかしかった。違和感がなかったわけではないが、当時、その答えを知るすべはなかった。ただただ勝利を信じて、横浜アリーナのリングに上がった。

真夜中に見た試合のビデオ「負けという現実を…」

 死闘。まさにこの試合にこそ当てはまる言葉だ。1回から畑山が左右のコンビネーションを繰り出せば、坂本は得意の左フックを王者の顔面にヒットさせる。体を休める小手先のボクシングは一切無用で、両者は壮絶に殴り合った。しかし坂本は9回1分17秒に畑山の右ストレートを浴び、左耳から流血すると、平衡感覚を失ってしまった。

 10回18秒、畑山の左右のパンチを受けた坂本の両ひざが折れ、全身の力が抜けていった。そのままスローモーションのように大の字になってキャンバスに倒れた。陣営から白のタオルが投げられ、キャリア40戦目で初のKO負け。誰よりもタフネスに自信を持っていた屈強な男が、最大の屈辱を味わった。

 どうやって負けたのかを思い出したのは、試合終了の5時間後、自宅に戻った午前2時のことだった。たった1人、暗い部屋の中で試合のビデオを見た。倒れて起き上がれない自分がいた。ショックだった。 

「試合後すぐに思い出せなかったのは、僕が負けという現実を拒否していたから。自分のことを、絶対に倒れない怪物くらいに思っていた。でも、それは過信でしかなかった。ただただ、自分の弱さから目を背けていたんです」

 過信から自分を見失った坂本の心は、座右の銘の「不動心」とはかけ離れていた。戦う前から、強大な波に飲まれそうな頼りない小舟のように、揺れに揺れ動いていた。

【次ページ】 勝者の畑山は「己の弱さ」を認めていた

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