酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2022/11/14 17:01
1985年の村田兆治。トミー・ジョン手術、中6日の登板間隔など、現代野球の先発投手に通じる考え方がある
〈5月12日(日)先 近鉄/7回4安1本4振4球 責3〇〉
ロッテは2回に2点を先制するが、村田は4回に下位打線に打たれて3失点。しかし8、9番打者に安打を打たれたものの、あとは抑えて粘り強くハーラートップに並ぶ5勝目を挙げた。
〈5月19日(日)先 南海/6.1回10安0本1振5球 責3〇〉
多くのメディアが「サンデー村田」「サンデー兆治」と呼ぶようになったのはこの頃から。村田は3回までに4点を奪われたものの、味方が奮起して逆転。
村田は5回には稲尾監督から降板を告げられたが、粘って7回途中まで投げた。「あれだけ点を取ってくれたのだから、最後まで投げないと」と不満げに語る。ロッテは2.5差で西武を追いかける2位につけた。
日曜日の7連勝中の成績をじっくり見てみると
〈5月26日(日)先 阪急/9回6安1本8振4球 責2〇〉
前回のふがいないマウンドに奮起した村田は8回まで阪急を零封。9回にヒックスに2ランを打たれて完封こそ逃したが7連勝を飾った。
実は日曜日の7連勝中の成績は、55.1回43被安打32奪三振29与四球。43被安打、防御率3.25とそれほど優秀ではない。
特に奪三振数はイニング数を大きく下回り、与四球も多い。しかし、村田は塁に走者を出しても粘り強く投げ続けた。そしてこの年に二度目の三冠王を獲得した落合博満以下、打撃陣が村田の登板時には奮起して点を取った。
村田は次の登板を回避、以後は「サンデー兆治」ではない登板が続いたが、連勝は途切れなかった。
〈6月12日(水)先 南海/9回6安0本6振2球 責1〇〉
〈6月20日(木)先 近鉄/9回9安1本4振6球 責3〇〉
〈6月27日(木)先 西武/9回11安0本2振6球 責4〇〉
そして再び日曜に登板した7月7日に完投で開幕から11連勝を記録した。
〈7月7日(日)先 南海/9回7安2本4振2球 責2〇〉
村田は以後もローテーションを維持し、最終的には24試合17勝5敗、173.2回、防御率4.30(11位)だった。そしてここからなおも5年間、村田はロッテの先発投手として投げ続けるのだ。
「トミー・ジョン手術」「中6日ローテ」の開拓者
トミー・ジョン手術前の村田の通算成績は15年で
156勝127敗31セーブ2421.2回、1729奪三振、防御率2.95
手術後は7年で
59勝50敗2セーブ909.2回、634奪三振、防御率3.87
トミー・ジョン手術を受けずに現役を断念したとしても、村田は「名投手」の一人として球史に残っただろうが、手術を経て7年間さらに投げたことで通算成績は215勝となり、名球会、そして野球殿堂入りを果たした。
それ以上に野球ファン、日本人を「故障を克服する不屈の闘志」で鼓舞した功績は限りなく大きい。