酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2022/11/14 17:01
1985年の村田兆治。トミー・ジョン手術、中6日の登板間隔など、現代野球の先発投手に通じる考え方がある
一応投げられるようになったことは収獲ではあったが、まだ完全復帰には程遠かった。翌1985年、稲尾和久監督は、開幕5戦目の西武戦で、村田を先発に起用した。
「投手生命をかけるのは今年、通用しないなら」
「投手生命をかけるのは今年、通用しないなら野球をやめる」村田はそう言い切った。
〈4月14日(日)先 西武/9回7安0本8振7球 責2〇〉
7回まで無失点。味方は4点を取ってくれた。村田は8回、110球を超えたあたりから疲れで手足がしびれ始める。見かねた稲尾監督がマウンドに上がるが「この日のために耐え、頑張ってきたんだから」と監督を説き伏せて続投。2点を奪われたものの155球を投げ、完投した。試合後、ひとこと「信じられない」。落合博満が2本塁打してエースの復活を祝った。
〈4月21日(日)先 南海/9回7安2本5振3球 責4〇〉
2万4000人が入った敵地・大阪球場で、村田は6回まで無失点。味方は3点を取ったが、7回にドカベン香川伸行と門田博光に本塁打を打たれ追いつかれる。しかし8回に味方が4点を取って突き放し、また完投勝利。「無我夢中だった。でもとにかく投げられたのがうれしい。今度は本当に勝った気がする」
落合は「たまたま」と言いつつ本塁打で援護した
〈4月28日(日)先 日本ハム/9回5安0本2振4球 責3〇〉
後楽園は3万1000人が入る。村田は4回までに失策も絡んで5失点するも、落合がまた2本塁打するなど8点を取って村田を援護した。また完投勝利。
「まだ肘は少し痛むけど、投げられる喜びを感じる。彼(落合)には助けられた」落合は「2本ともたまたま入っただけ」とクールさを装った。
この頃から「サンデー」との言葉が飛び交うようになる。
たまたまNHKは、この年4月7日から毎日曜日に「サンデースポーツスペシャル」という新番組を始めていた。その放送2回目の日に村田が復帰。そして毎日曜日に快投を見せたのだ。
番組の冒頭、こぼれるような笑顔で「村田がまたやってくれました」と言ったのは、キャスターに抜擢された38歳の星野仙一。村田の3学年上だが、同世代の活躍が嬉しかったのだ。
この時代、ロッテ戦はキー局では全く中継はなく、ラジオも巨人戦が中心。ネットもなかったから、筆者なども夜10時からの「サンデースポーツスペシャル」で村田の活躍を知るのが楽しみだった。
5月ごろから「サンデー兆治」と呼ばれるように
〈5月5日(日)先 南海/6回4安2本4振2球 責3〇〉
子どもの日、川崎球場には2万7000人が詰めかけた。ロッテは2回に集中打で9点を取り、村田は6回自責点3で降板したが4連勝。落合がまた2本塁打を放っている。