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〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/11/14 17:01

〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

1985年の村田兆治。トミー・ジョン手術、中6日の登板間隔など、現代野球の先発投手に通じる考え方がある

 さらに言えば「中6日のローテーション」は村田が開祖のようなものだ。そして日本に「トミー・ジョン手術」の道を拓いたのも村田兆治だった。

「あぶさん」の水島先生にとっても特別な存在

「あぶさん」の水島新司にとっても村田兆治は、特別の存在だった。

 1979年には景浦安武の5打席連続本塁打を、フォークボールで阻止している(「不安レター」)。しかし景浦の豪快な三振に感激した村田夫人は景浦にファンレターを送っている。

 そして1984年、村田はトミー・ジョン手術からの復活の舞台で、景浦安武にサヨナラホームランを打たれている(「帰ってきたマサカリ兆治」)。

 南海の穴吹義雄監督は、村田の投球をフルスイングする“あぶさん”こと景浦に「景浦にとって、村田兆治はそういう存在なんや。その気にさせるだけの凄まじい対決があったんや」と語る。

 誠に、村田兆治という選手は「野球漫画から出てきたような選手」だった。

 良く投げ、良く勝ち、良く負けた。良く喜びを爆発させ、敗北に打ちひしがれた。今も素晴らしい選手はたくさんいるが――私たちは村田兆治という快男児がいたことを、これからもずっと忘れない。

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