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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「高津監督も高校時代は控え投手だし」「だって月謝は同じなのに…」広澤克実60歳が“肩ひじを守る少年野球リーグ理事長”になったワケ
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2022/11/02 17:25
広澤克実さんに少年野球「ポニーリーグ」の理事長就任の経緯を聞いた
「お世話になっているスポーツ新聞に勤める大学の大先輩から、“お前、いい年こいて遊んでばかりいないで、野球界のために貢献しなさい”っていう電話がかかってきた。“何をしたらいいですか?”って言ったら“中学硬式野球のために骨を折れ”っていうんです。
で、とりあえず会食しようと言うことになって行ってみたら、なんか雰囲気が違うんですよ。“おかしいなあ”と思ったら、“お前、理事長な”という話になっていて、その場で就任が決まったんです」
高津の才能を見つける人がいなければ…
このインタビューに同席していたポニーリーグの那須勇元・事務総長に「那須さんの方はどうだったのですか?」と聞くと……。
「ご紹介くださった方が、3人くらい有名な元プロ野球選手の名前が書いた紙を出してきて、その中から選べ、っていうんですよ。それで広澤克実さんを指名しました」
ポニーリーグと広澤氏をひきあわせた大学の先輩が、シナリオを描いたのだろうが、その先輩は本当に慧眼だった。広澤氏はポニーリーグの理念を深いレベルで理解し、強いリーダーシップを発揮し始めるのだ。
「ただ単に中学野球を応援すると聞かされて入ったものですから、ポニーの理念だとか、独自のルールを知って入ったわけではありませんでした。でも、入ってからいろんなことを学んで、共感する部分がたくさんありました。
僕らは昭和の競争社会で育ちましたが、今はみんなに機会を与える考え方です。古い考えでいけば、“競争で勝たないと”と言うことですが、今は昭和とは考え方が違う。
これまでは中学3年間野球をしても、試合に出られない子はずっと出られない。出る子はずっと出る。試合に出る子はすぐにうまくなるし、出られない子はうまくなれない。でも子供って、いつ伸びるかわからないじゃないですか、能力が伸びているのに出場機会がなければ、その子の可能性は消えてしまう。
ヤクルトの高津臣吾監督だって高校時代は野手兼控え投手だし、亜細亜大には小池秀郎と言うエースがいて、二番手だった。高津が伸びたのは、そこからなんですね。その時に彼の才能を見つける人がいなければ、才能は埋もれたままになってしまったはずです。
先ほど言いましたが、僕らが栃木県立小山高校の野球部に入ったときは、100人くらい新入部員がいたんですね。でも、練習がきつかったり、体罰を受けたりしてあっという間に半分くらいになった。あの頃に違う制度があったら、もしかしたら広澤克実以上の選手が出てきたりしてね。これまで、野球界は素晴らしい逸材をたくさん失ってきたんだなと実感します」
同じ月謝払っているのに試合に出られる人とそうでない人が
雑念に惑わされることなく、虚心坦懐にものごとを見つめることができる、広澤氏ならではの見解だろう。