バレーボールPRESSBACK NUMBER
「俺の目標、最後まで松本さんだったなぁ…」“鉄人”の背中を追い続けた富松崇彰のバレー人生〈41歳松本慶彦は何がスゴい?〉
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byTORAY ARROWS/BLAZERS SPORTS CLUB
posted2022/10/28 17:01
昨シーズン限りで引退し、現在はスタッフとして東レアローズを支える富松崇彰さん(左、38歳)。目標としてきた松本慶彦(堺ブレイザーズ)は41歳となった今季もコートに立ち続けている
一方、バレーボールファンや筆者にとっては忘れられない記憶がある。2008年、北京オリンピック直前に日本代表メンバーから外れたことだ。
同じミドルブロッカーとして当時、富松さんとポジション争いを繰り広げていた松本慶彦(41歳/堺ブレイザーズ)がぽつりとこぼしたことがある。2~3年前だ。
「実はあのときのトミー(富松さんのニックネーム)の気持ち、いまだに僕は聞けていないんですよね……」
前年のワールドカップで活躍した富松さんに加え、松本、山村宏太(現サントリー監督)とベテランの齋藤信治(元東レ)の4名がミドルブロッカーとして北京オリンピック世界最終予選に登録されていた。最終予選を勝ち抜き、オリンピック本選への選考段階で登録選手は14名から12名に絞られる。そのとき富松さんはメンバーから漏れた。
気になりつつも、筆者も富松さんが現役の間は、その話題に触れることはできなかったが、同じプレーヤーで、しかも公私ともに仲がよい松本ですら、聞けなかったというのには驚いた。
思い切って当時のことを尋ねると、富松さんは笑いながら言った。
「こんな奴を五輪には連れていけないなって(笑)」
「あのときは『なんで選ばれないんだ』とか『クソ!』とか感じていたと思います。悔しかったですしね。でも、一方で自分に足りないものもすごくあるのはわかっていたので、『やっぱりな』という思いもあって複雑でしたね」
日本代表でも自分の意見を率直に口にし「わがまま放題言っていた」と振り返る富松さん。「そりゃ、こんな奴をオリンピックには連れていけないなって今の自分なら思うんですけどね」と再び笑った。
富松さんが感じていた当時の課題は、クイックが決まらないことだった。必死にボールに食らいついても、ブロックに阻まれる。ワンタッチを取られたり、コースを読まれてレシーブされたりと、なかなか得点につながらない。フラストレーションがたまった。
「当時の自分の武器はブロックでした。それをアピールすればなんとかメンバーに残れるかなぁと思っていたんですけど、結果的には何かに秀でた選手ではなく、全体的に完成された選手が選ばれた。当時の植田辰哉監督にも、選考の理由をそう告げられましたから」
しかし、その落選が結果的に見れば富松さんの選手生命を伸ばすことになる。