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「サッカー部が解散」「アルバイトをしながら…」アルビレックス新潟“6シーズンぶりJ1復帰”を達成した監督・松橋力蔵の“苦労人な人生”
posted2022/10/31 11:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
リキさん、むしろ転がっちゃってくださいよ。
バカ、その役目はお前だろ。
そんなやり取りが聞こえてきそうだった。J2のアルビレックス新潟は8日、ホームでベガルタ仙台に3-0で圧勝して6シーズンぶりのJ1復帰を決めた。
試合後にはアルビ新名物となった歓喜の“人間ボウリング”が披露された。選手のみならず、松橋力蔵監督まで参加。ボウラー役をやろうとしているのに、でんぐり返しで“ピン”になった選手のもとへ転がるボール役の松田詠太郎から「どうぞ、どうぞ」されてペシッと突っ込んだのが冒頭のシーンである。
日ごろから選手と目線を合わせてきた人だからこそ、ほっこりしたアットホーム感が伝わってくる。
コーチから昇格1年目での大仕事。ポジショニング、ボール保持にこだわったアルベルト前監督のベースを引き継ぎつつも、縦に速い攻撃と徹頭徹尾のハードワークを加味し攻守に圧倒するスタイルを構築した。
松橋の“苦労人な人生”
松橋は苦労人として知られる。高校卒業後に一度就職したが、サッカー選手の夢を諦めきれなかった。日産ファームのセレクションに合格して会社を辞め、アルバイトをしながらトップチームを目指した。1989年に入団を果たし、いつしか“木村和司2世”と呼ばれるまでに。移行した横浜マリノス、京都パープルサンガを経て、JFLのジヤトコを最後に引退。コーチとして残ったものの、今度はサッカー部が解散になるという憂き目に遭った。
サッカーから離れてジヤトコの社員になる選択肢もあった。しかし彼は指導者で勝負していくことを選んだ。横浜に復帰してユース監督時代はいくつものタイトルを獲得。天野純、喜田拓也、遠藤渓太ら多くのタレントを育て上げた。トップチームのコーチ時代にはアンジェ・ポステコグルー監督のもと、'19年のリーグ制覇も経験している。
口癖は「練習の風景を変えていこう」。日ごろの練習から小さいミスであっても見逃さず、妥協を許さない。己にも厳しい目を向け、選手からも学ぼうとする。それゆえの同じ目線。アルビレックスの指揮官になった今もマインドはきっと同じである。選手と一緒になって風景を変えた先に、最高の景色が広がっていた。