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西武ドラ1蛭間拓哉は2年前…“早大野球部を退部寸前”だった?「ただただ申し訳ないと」「4年生のために頑張るだけでした」 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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photograph byTakeshi Shimizu

posted2022/10/26 11:01

西武ドラ1蛭間拓哉は2年前…“早大野球部を退部寸前”だった?「ただただ申し訳ないと」「4年生のために頑張るだけでした」<Number Web> photograph by Takeshi Shimizu

西武ドラフト1位の蛭間拓哉。走攻守に力感あふれるプレーはスケールの大きさを感じさせる

 リーグ戦が始まって日程が進んでも2年生は戻ってこない。序盤戦を消化したあたり、1対1の機会があったので思い切って小宮山監督に「2年生がいませんが、どうしましたか」と尋ねてみた。

「書いちゃダメですよ」

 当時はこう、念押しして真相を話してくれた。

 緊急事態宣言後の8月下旬、オフの日に2年生10人が川に遊びに行ったという。そこで、一人がケガをして練習を休むことになって、事が発覚した。

「お前ら退部だ。俺の前に顔を見せるな」

 事故の報告を受けた監督は室内練習場で烈火のごとく怒ったそうだ。

「これまでにないぐらいの大きな声で怒鳴りました。“お前ら退部だ。俺の前に顔を見せるな”って。外のグラウンド中に声が響いて全員が凍りついたらしいです。

 そりゃそうですよ。もし、コロナに感染したらリーグ戦は辞退です。連盟に迷惑をかける。早稲田大学野球部として見過ごせない」

 当時、コロナ陽性での隔離期間が2週間だったことを受けて、同じ謹慎2週間を言い渡した。戻ってきてもレギュラー練習には参加させなかった。

「控え組で練習をするしかない。でも、蛭間は声を出してコツコツコツコツ、バットを振っていた。それを4年生は見ていて、“優勝するには蛭間の力が必要です”って言ってきた。4年生がそこまで言うならと、近いうちに蛭間だけ一軍に戻します」

 秋季リーグ戦は2回戦総当たり戦合計10試合でのポイント制のシーズン。蛭間がスタメンに戻ったのが4週目の東大戦だった。早大は最終週の早慶戦前までは3位で、慶大に2連勝すれば逆転優勝できるという状況だった。

 その土壇場で、蛭間は第1戦の7回、第2戦では9回表に2試合連続となる決勝2ランホームランを放ち、優勝の立役者となる劇的な幕切れになった。 

 蛭間の猛省を4年生が認めていなければ――試合に出ることも叶わなかった。ましてや慶応戦での2本のホームランも生まれていなかったことになる。となると、ドラフト指名に繋がっていたかもわからないのだ。

「蛭間は懇願しましたよ。手を掴んで…」

「そういう意味では“もっている”選手かもしれない」

 監督は思い返してそう言った。

 今回、2年前の件をあらためて記すことを伝え、小宮山監督に当時を克明に思い出してもらった。

【次ページ】 死に物狂いで練習している蛭間の姿に…

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