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西武ドラ1蛭間拓哉は2年前…“早大野球部を退部寸前”だった?「ただただ申し訳ないと」「4年生のために頑張るだけでした」
posted2022/10/26 11:01
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takeshi Shimizu
「常に全力疾走、全力プレーをする選手と思ってずっと見てました」
西武ライオンズの渡辺久信GMは早稲田大学の蛭間拓哉外野手をこう言って評価した。
蛭間にとって、ライオンズは幼少期から身近にある存在だった。蛭間は小学生の時にライオンズジュニアに選ばれていた。毎週金曜日に学校を早めに切り上げて、群馬県の桐生から両親に送り迎えをしてもらって所沢に通っていたそうだ。
地元の中学から浦和学院に進んだ蛭間は、3年時にキャプテンとして夏の甲子園でベスト8進出を果たす。さらに高校日本代表にも選ばれて宮崎で行われたU18アジア選手権にも出場した。
西武は高校時代からもマークしていただろうし、蛭間も「一番、行きたい球団でした」とドラフト直後の会見で明かしていて、相思相愛だった。
事前の公表ということで驚きました
ドラフト会議9日前の10月11日、渡辺GMはオンライン会見で、蛭間の1位指名を公表した。
事前に早大の小宮山悟監督にも報告があったという。小宮山監督はこのように明かす。
「公表していいですか、と連絡がありました。リーグ戦中で気を遣ってくれたんだと思いますが、それはこちらとしては関知することでもないので承知しました、と。蛭間本人にも伝えましたよ」
発表から数日たって、早大野球部の安部寮で蛭間本人に心境を尋ねた。
「事前の公表ということで驚きました。秋は結果が出てないですが、ここまで頑張ってきて、良かったなと思います」
落ち着いて安心した心情が伝わってきた。
そんな蛭間は早大での4年間で、野球人生の階段を一度、踏み外しかけていた。それでも改心して努力して認められていった経緯がある。
2年前、2020年夏の終わりのことだ。この年の早大は絶対的エース、早川隆久(現東北楽天イーグルス)がいた。春季リーグ戦の開催がコロナで真夏にずれ込み、5試合のみで決する変則シーズンで、早大は3勝2敗の3位だった。
8月中旬から早大は秋に備えてオープン戦を実施していた。
ところが、スタメンにレギュラーだった蛭間はじめ2年生が名前を連ねていない。
気になったのでチームの関係者に聞いてみると、「ちょっと問題がありまして」「調子が上がらないので二軍で調整しています」という答えで、疑問がすっきりとは晴れない。
この時、実は大きな事件が起こっていたのだ。