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アントニオ猪木が当局の反対を押し切って叫んだ「1、2、3、平和!」1995年北朝鮮興行に込めていた思いとは?「ガウンは平壌に脱いできた」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byEssei Hara

posted2022/10/06 17:02

アントニオ猪木が当局の反対を押し切って叫んだ「1、2、3、平和!」1995年北朝鮮興行に込めていた思いとは?「ガウンは平壌に脱いできた」<Number Web> photograph by Essei Hara

1995年北朝鮮のメーデースタジアムでの試合後に撮られた1枚。観客動員38万人の大イベントに猪木が込めていた思いとは…?

 日本であれば、この後は猪木によるお約束の「1、2、3、ダー!」が行われるはずだった。しかし、このとき田中リングアナに促されて猪木が叫んだのは、「1、2、3、ピョンファー!」というフレーズだった。「ピョンファ」とは朝鮮の言葉で「平和」。当局の反対を押し切って、猪木と田中リングアナが強い意志で演出したラストメッセージだった。

猪木さんは“ガウンは平壌に脱いできた”

 このとき、リングサイドで見守っていた原は猪木の瞳が潤んでいたことに気がついた。感傷的なその姿を見て、「あぁ、これが猪木さんにとっての引退試合なのだろうな」と改めて感じたという。この大会から3年後の'98年4月4日、東京ドームに7万人の観客を集めて「FINAL THE INOKI」が行われた。そして、この日を最後に猪木は現役を引退する。

「興行的な問題もあるから、当然引退試合は日本のファンの前でやることはわかっていました。でも、僕は今でも平壌でのフレアー戦が引退試合だったと思っています」

 北朝鮮、19万人の大観衆、リック・フレアー、そしてモハメド・アリ……。思えば何から何までお膳立ては整っていた。

「平和の祭典からしばらくの間、猪木さんは“ガウンは平壌に脱いできた”と言っていました。この発言もそう、あの日の感傷的な姿、試合後の潤んだ瞳もそう。やっぱりあれは引退試合だったんだろうな」

 19万人が目撃したあの日のあの試合。確かに猪木は北の国にいた。一世一代の大舞台をつくり上げ、確かに猪木は勝利した。

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アントニオ猪木の悲願“北朝鮮38万人興行”とは何だったのか? 現地を知る者たちの証言「あぁ、これが引退試合なのかな……」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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