1995年北朝鮮のメーデースタジアムでの試合後に撮られた1枚。観客動員38万人の大イベントに猪木が込めていた思いとは…? / photograph by Essei Hara リングに立つブル中野(左)と北斗晶(奥) ©Essei Hara 会場となったメーデースタジアム ©Essei Hara 観客席の様子 ©Essei Hara 原の狙い通りの1枚 ©Essei Hara 2日間の興行を終え、金色の紙吹雪が舞う。この時の猪木に去来した思いとは何だったのか ©Essei Hara 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念切手セット。猪木、そして力道山の姿も 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念切手セット。猪木、そして力道山の姿も 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像など大会記念グッズ、ビデオも販売された 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像など大会記念グッズ、ビデオも販売された 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念グッズの文鎮 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念グッズの文鎮 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 北斗晶(左)とブル中野 ©Essei Hara モハメド・アリと ©Essei Hara 現地女性と手をつないで踊るアントニオ猪木 ©Essei Hara 北朝鮮の文化を視察するアントニオ猪木 ©Essei Hara モハメド・アリと ©Essei Hara 村松友視 ©Kiichi Matsutomo 原悦生 ©Takuya Sugiyama 田中ケロ ©Kiichi Matsumoto ブル中野 ©Kiichi Matsumoto 燃える闘魂アントニオ猪木。79年の人生は、あまりにも濃厚だった ©Naoya Sanuki Number219号の表紙 Number539・540号の表紙 猪木-アリ戦 ©Getty Images Number342号の表紙 Number1006号の表紙 弛まぬ努力を続けてプロレス界を牽引してきたアントニオ猪木 ©Makoto Kenmizaki ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木。国会議員の役職を離れても北朝鮮に足を運んだ ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木。現職の国会議員としても北朝鮮に訪れていた ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2015年、国会でのアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2015年、国会でのアントニオ猪木 ©Takashi Shimizu 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada

2日間の興行を終え、金色の紙吹雪が舞う。この時の猪木に去来した思いとは何だったのか ©Essei Hara

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1995年北朝鮮のメーデースタジアムでの試合後に撮られた1枚。観客動員38万人の大イベントに猪木が込めていた思いとは…? / photograph by Essei Hara リングに立つブル中野(左)と北斗晶(奥) ©Essei Hara 会場となったメーデースタジアム ©Essei Hara 観客席の様子 ©Essei Hara 原の狙い通りの1枚 ©Essei Hara 2日間の興行を終え、金色の紙吹雪が舞う。この時の猪木に去来した思いとは何だったのか ©Essei Hara 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念の凹版彫刻の肖像画セット 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念切手セット。猪木、そして力道山の姿も 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念切手セット。猪木、そして力道山の姿も 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像など大会記念グッズ、ビデオも販売された 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木のブロンズ像など大会記念グッズ、ビデオも販売された 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念グッズの文鎮 筆者の長谷川晶一氏が所有 記念グッズの文鎮 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 大会後に販売されたビデオ『平和のための平壌国際体育・文化祝典』 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 猪木とスタジアムをかたどった純銀製のメダル 筆者の長谷川晶一氏が所有 北斗晶(左)とブル中野 ©Essei Hara モハメド・アリと ©Essei Hara 現地女性と手をつないで踊るアントニオ猪木 ©Essei Hara 北朝鮮の文化を視察するアントニオ猪木 ©Essei Hara モハメド・アリと ©Essei Hara 村松友視 ©Kiichi Matsutomo 原悦生 ©Takuya Sugiyama 田中ケロ ©Kiichi Matsumoto ブル中野 ©Kiichi Matsumoto 燃える闘魂アントニオ猪木。79年の人生は、あまりにも濃厚だった ©Naoya Sanuki Number219号の表紙 Number539・540号の表紙 猪木-アリ戦 ©Getty Images Number342号の表紙 Number1006号の表紙 弛まぬ努力を続けてプロレス界を牽引してきたアントニオ猪木 ©Makoto Kenmizaki ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木。国会議員の役職を離れても北朝鮮に足を運んだ ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木。現職の国会議員としても北朝鮮に訪れていた ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2009年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2015年、国会でのアントニオ猪木 ©Shiro Miyake 2015年、国会でのアントニオ猪木 ©Takashi Shimizu 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada 2013年、北朝鮮から帰国したアントニオ猪木 ©Mami Yamada

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