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川平慈英16歳 “国立ピッチ乱入→マラドーナ抱きつき伝説“がまるでドラマ「目が合った瞬間に…」60歳の野望はネトフリで世界進出?
posted2022/09/23 11:07
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Jay Kabira
「ムムッ!」「いいんです!」リズミカルに飛び出す言葉に圧倒された“90分”だった。俳優・川平慈英、60歳。逸材たちとボールを追いかけた読売ユース時代、志半ばで諦めたプロの道、人生を変えた演劇との出会い、そしてキャリアを彩った「ニュースステーション」のキャスター就任……節目を迎えた男がその半生を振り返る(全3回の3回目/#1、#2を読む)。
その光景を見たとき、大雪が降っているのかと思った。
だが、それは本物の雪ではなかった。観客席から降り注ぐ大量の紙吹雪だった。
1978年に開催されたアルゼンチンW杯。読売ユースに所属する高校生だった川平慈英は兄、ジョン・カビラが住む神楽坂のアパートに転がり込んで、テレビ画面に釘付けになっていた。
「衝撃でした。なんなんだ、このスポーツの祭典は!? って。冗談じゃなく本当に大雪かと思った。それくらいすごい光景だった。細胞レベルで揺さぶられる、みたいな。そして、マタドール、マリオ・ケンペスね。あの流し込み。またパンツの丈が短いんだよね。当時、ロンパンが主流だったから、それも衝撃的で。すぐにアルゼンチンの虜になった。そうしたら、アルゼンチンにすごい少年が出てきたらしいっていう話を聞いて……」
その少年こそ、ディエゴ・アルマンド・マラドーナだった。
ポリ袋2つに詰めた紙吹雪
アルゼンチンW杯の翌年となる79年、日本で開催されたワールドユース(現U-20W杯)に出場するアルゼンチンユース代表の10番として、若き日のマラドーナは来日を果たす。
ちなみに、開催国の日本ユース代表には当時19歳だった水沼貴史や18歳の柱谷幸一、17歳の風間八宏がいた。
アルゼンチンフリークを自認する川平が、そんなチャンスを見逃すわけがない。
「ソ連との決勝を友人と見に行ったんです。ジョンは別の友人と行っていたみたいなんだけど。前の日から新聞紙を切って作った紙吹雪をポリ袋2つにたっぷり入れて持って行ったんだけど、キックオフまでに使い果たしちゃった(苦笑)」