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川平慈英16歳 “国立ピッチ乱入→マラドーナ抱きつき伝説“がまるでドラマ「目が合った瞬間に…」60歳の野望はネトフリで世界進出?
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJay Kabira
posted2022/09/23 11:07
高校生だった川平少年は日本開催のワールドユースでスターになったマラドーナに魅了された。写真はプロを目指していた米大留学時代
04年3月、『ニュースステーション』が終了し、川平はいったん二足目の草鞋を脱いだ。
一方、ミュージカルスターとしての川平は着々と、活躍の幅を広げていった。
歌とタップダンスを中心としたエンターテインメントショー『Shoes On!』を2000年から07年まで続け、15年1月にも復活させた。
05年、森山未來との共演で話題を呼んだミュージカルコメディ『最悪な人生のためのガイドブック』は好評を博した。08年が初演で、劇団☆新感線がプロデュース、古田新太や濱田マリと共演した『五右衛門ロック』は、現在も映画館で映像が公開されている人気作だ。
2000年に『オケピ!』で初タッグを組んだ三谷幸喜の作品には、その後、『TALK LIKE SINGING』『ショーガール』『日本の歴史』に出演した。
自ら企画を持ち込んだオフ・ブロードウェイミュージカル『Forever Plaid』は再々演までで100回の上演を数え、主演を務めたミュージカル『ビッグ・フィッシュ』では、エドワード・ブルーム役で第45回菊田一夫演劇賞も受賞した。
そんな川平は50歳となった10年前、役者として新たな境地を迎えたという。
たどり着いた「てーげー」の境地
「やっぱり若い頃は虚勢を張っていて、パーフェクトでいたい、いつもカッコいい役者でいたいっていう気持ちがあったんです。常に肩に力が入っていて、『どうですか? 俺、いいでしょう?』っていう変なエナジーを出していた。でも、50を過ぎてから、背伸びしなくなったというか。『ごめんなさい。それ、できません』って言えるようになった。弱い自分を受け入れ、ありのままでいられるようになったんですよね。沖縄の言葉で『てーげー』って言うんですけど、力みすぎない、ほどほどのスタンスでやれるようになったんです」
大好きだったサッカーから遠ざかる要因となった50代半ばの半月板損傷の大怪我も、役者としてひと皮剥けるきっかけになった。
「ベストコンディションだと、だいたいゴリゴリやっちゃって、『ジェイ、トゥーマッチだ』と言われちゃう(苦笑)。でも、半月板をやってからは、痛いから、どうやって表現しようかと。表現の仕方にマインドがいくようになった。何かポンコツを背負っているほうが、工夫するっていうことなんでしょうね」