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「お前、オチと仲悪いんか?」落合博満と“不仲説”ミスター・ロッテもホメた…天才・落合の最も美しい1年「サードから見ても恐怖だった」
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byKYODO
posted2022/09/10 17:01
「落合博満は1985年が最も美しい」。打率.367・本塁打52・打点146と文句なしの数字で2度目の三冠王に輝いた85年シーズン
「別格ですよ。あの時の落合さんはフォアボールで出してもOKという感覚。もっといえば、対ロッテではなく対落合でしたね」と語るのは、この前年に西武の正捕手になった当時23歳の伊東勤。このシーズンの西武はロッテをカモにして独走優勝するも、4番落合には.387、12本塁打とよく打たれた。
「川崎でやる時はライトに上がればまずホームラン。ちょっと擦るような打ち方で、内角を打ちに行くような形をしておいて、外のボールを狙い撃ちで右に運ばれる。最終的にはどれだけ内角をつけるかという結論に至るんですが、落合さんに対してなかなか投げ切れるピッチャーはいない。かなりホームベース寄りに立つから余計に投げづらい。東尾(修)さんあたりとは読み合いを楽しんでいたけど、逆に登板が少ないピッチャーの時は『伊東、頼むぞ。当てんなよ』と言いながら打席に入ってきました。実際に一度当たっちゃったんだけど、次の打席で『お前、言ったろ』って。ある程度、制球力がないと落合さんも安心して打てないんですよ」
「冗談じゃないよ!オチは誰よりも貢献してる!」
エース級の投手とは、ある意味信頼で結ばれていたという奇妙な敵対関係は、85年に南海に最も抑えられた理由について「毎回投手か捕手が代わるから」と落合本人が後に回想していることからもわかる。
「でも正直、落合さんに秋田で3発打たれたことも記憶に残ってません。これって結局、ロッテが優勝争いのライバルではなかったからです。言い方は悪いけど、ロッテなら特別な対策をしなくてもいつでも勝てるという自信があったんでしょうね」
この28年後、伊東勤がそんなロッテの監督になってしまう因縁はさておき、圧倒的な数字を残しての三冠王は、優勝争いと関係のないチームにあって、その勝敗を考えず、自分の成績だけに集中した結果だという論調があったのは確かだ。
これを有藤は真っ向から否定する。
「冗談じゃないよ! オチはあの年、誰よりもチームに貢献している。4番としてフォアボールを選ぶこともあれば、本塁打が必要になる場面もある。オチが打てば勝つ。打たなきゃ負ける。それが4番の仕事なんだ」
◆◆◆
本塁打王争いは前半戦を22本で折り返し、秋山に3本差をつけられていたが、「ライバルとして眼中にない」との言葉通りに、後半戦に入ると8月2日の阪急戦で3発、8月後半の近鉄3連戦では5発、さらに秋田での3連発で完全に振り切った。
打点では5月4日から安定してトップを走るも、8月半ばに最もマークすべきブーマーに88打点で並ばれた。「落合に2度も三冠王を取らせない」と息巻くライバルに半月ほど首位を譲ったが、9月2日の近鉄戦で100打点に到達して肩を並べると、翌日には3安打5打点で突き放した。
最も苦戦した打率部門では近鉄のリチャード・デービスが立ちはだかった。6月には最大で1分2厘差まで開いたが、8月10日からの阪急、西武との5試合をホームランなしの17打数11安打の固め打ちで一気に逆転。一度はデービスが抜き返すも、すぐに落合が奪回し、引き離した。
<そんな激戦を経て、かねて心配された腰痛も乗り越え、落合の最も美しいシーズンは2度目の三冠王という形で実を結ぶことになる――。>
《前編から続く》