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「引導を渡された親父の敵討ちだ」千代の富士が愛弟子・千代大海の初金星に泣いた夜…“ツッパリ大関”が成し遂げた「ふたつの親孝行」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/09/10 11:01
元大関・千代大海の九重親方へのロングインタビュー中編。写真は初優勝時の先代九重親方(元横綱・千代の富士)と当時22歳の千代大海
初優勝時の“ウルフの金言”「3番取るつもりでいけ」
――平成11年(1999年)初場所では、横綱・若乃花との優勝決定戦を制して初優勝、大関昇進を決めました。あの場所のことを振り返っていただけますか。
初優勝した場所はすごくキレキレで、なんとなくいけるんじゃないかって5日目くらいから思っていました。付け人に「今場所優勝してやる」なんて豪語していたくらいですから。そこからもずっといい感覚は続いていて、14日目に貴乃花戦がありました。自分にとって一番でかい壁です。でも、頭から当たって、相手が棒立ちになったのを見逃さずにはたいて勝つことができました。そのときは、「うわ~、勝っちゃった~」と思って、千秋楽のことで頭がいっぱい(笑)。ただ、だからといって緊張で寝られないということもなくて、しっかり眠って翌朝もベストな状態でした。
――当日、先代親方からアドバイスはありましたか。
千秋楽の若乃花戦に臨むとき、師匠が「今日は3番取るつもりでいけよ」って言うんです。本割と決定戦があっても2番しかないのに、いったいどういう意味だろうと。3番くらい取れるように力を温存しておけということなのか、持っていない力を引き出せって意味だったのか、よくわからないけど「わかりました」と答えて臨みました。それで本割で勝った後、優勝決定戦が史上初の取り直しになったんです。まさかの「3番目の相撲」ですよ。おそらく、言い間違いが偶然当てはまったのだろうとは思うんですが、師匠は「な? 言っただろう」と笑っていました。さらに「大舞台で横綱と3番も取れるんだから、気持ちよかっただろう」とも。忘れられない初優勝の思い出です。当時22歳。不良をやめて、6年で大関の地位まで辿り着きました。<#3へ続く>