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「あんちゃん座れ」ケンカで無双“大分の龍二”が圧倒された千代の富士の迫力とは? 元大関・千代大海の九重親方が振り返る師匠との出会い
posted2022/09/10 11:00
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph by
BUNGEISHUNJU/Ichisei Hiramatsu
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運動神経抜群だった幼少期
――親方は幼少期に柔道の経験があると伺いました。その頃から体は大きかったのでしょうか。
幼稚園の頃は、写真で見るかぎり周りの子より頭ひとつ大きいですね。1年に10キロずつ体重が増えて、5、6歳でもう50キロくらいありました。やんちゃで、朝から晩まで公園や海で遊んでいました。体は大きかったけど足が速くて、かけっこで2位以下になったことがありません。自転車も走るのも泳ぐのも好きでした。その頃から人間観察が趣味で、友達より大人と遊んでいるのが好きな、ませた子どもだったと思います(笑)。
柔道を始めたのは、父が柔道家だったからで、始めたのは3歳のとき。父は僕が5歳の頃に他界していますが、オリンピック候補にまで残って、警察署の師範として柔道を教えていました。そんな父の下で、小さい頃から柔道のスパルタ英才教育を受けました。でも、一度小学校に上がるときに辞めて、サッカー部に入ったんです。小学3年生までサッカー部、4年生から1年だけ野球部、そして5年生からまた柔道を始めて、全国大会で3位になりました。
――どんなスポーツもできたということは、やはり運動神経がよかったんですね。サッカーや野球は、やってみていかがでしたか。
サッカーでは、走るポジションがよかったのに、体が大きいからとゴールキーパーにさせられたんです(笑)。うちの学校は強くて、キーパーの仕事があんまりなかったから面白くなくて。野球をやったら、4年生で4番・キャッチャー。これも、本当はピッチャーかサードがよかった。残念ながら、指導者と考えが合わずに辞めてしまったんですね。