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「引導を渡された親父の敵討ちだ」千代の富士が愛弟子・千代大海の初金星に泣いた夜…“ツッパリ大関”が成し遂げた「ふたつの親孝行」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/09/10 11:01
元大関・千代大海の九重親方へのロングインタビュー中編。写真は初優勝時の先代九重親方(元横綱・千代の富士)と当時22歳の千代大海
十両の初任給は「袋ごと母に送りました」
――親方はわずか2年8カ月で関取に昇進しました。昇進までを振り返って、印象深いできごとはありましたか。
相撲に関しては前相撲から11連勝。序ノ口優勝もして、いいスタートを切れました。若い衆の頃は面白かったですよ。ご飯、掃除、洗濯、パシリ……。時には夜逃げする人の布団を丸めて、寝ているように偽装して助けたりなんかしてね(笑)。それまで自分がどんな武勇伝を持っていようと関係ない世界ですから、「パシらされるってこういう気持ちなんだ」とか、自分のしてきたことを悔い改めて生きていました。
――力士としてはもちろん、人間的にも成長していったわけですね。
場所ごとに体はどんどん大きくなって、約1年後には三段目優勝、一気に幕下12枚目まで上がりました。そこからケガもあって1年以上かかりましたが、十両に上がって給料がもらえるようになって。いまの十両の給料は100万円以上ありますが、当時は手取りで70万円くらいだったかな。新十両はめちゃくちゃうれしかったけど、番付を維持しないとまた給料をもらえなくなるので、「ここが新たなスタートラインだな」という気持ちでした。
大分にいる母には、毎日テレホンカードで電話していましたよ。19歳のとき、協会から初めてもらった給料袋を、封も開けずにそのまま小包で大分に送ったんです。おふくろに「親孝行は現金だろ」って言われたからね(笑)。相撲を取るときも、頭の半分には常におふくろのことがありました。生きがいは勝つことしかなかったし、東京に出てきたといっても、墨田区・江東区からは出たことがないくらい、ひたすら相撲漬けの日々でしたね。
師匠の熱い涙と、武双山との“伝説の一番”
――関取になると、十両を約2年で通過。強烈な突っ張りで館内を沸かせる人気力士となっていくわけですが、ご自身のなかで記憶に残る取組を教えていただければ。
ほとんどすべての取組を覚えていますけど、キャッチーなのはやはり貴乃花戦でしょうか。貴乃花対千代大海は、自分の新入幕の翌場所で実現して。現役時代に引導を渡された親父(師匠)の敵討ちだと思って臨んだので、2回目の対戦で勝ったときは本当にうれしかったです。しかも、自分にとっての初金星ですから。
その懸賞金を師匠に渡したら、その倍くらいの金額をご祝儀でくれました。師匠はもう顔を真っ赤にして大喜びですよ。熱い人なのですぐ泣くんですが、そのときも目が潤んでいて、朝まで飲み歩いていました(笑)。そんな師匠を見て、自分も喜びがこみ上げてきましたね。