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辰吉丈一郎22歳「なんや、最近よう写真撮りに来てるなぁ」なぜ人は“浪速のジョー”に惹かれるのか…30年間撮り続けた盟友が語る素顔
text by
ヤナガワゴーッ!Go! Yanagawa
photograph byGo Yanagawa
posted2022/09/01 11:02
1997年11月22日、限界説も囁かれるなか、辰吉丈一郎は無敗の王者シリモンコンを7回TKOで撃破。筆者は号泣しながらシャッターを切っていた
「なんや、最近よう写真撮りに来てるなぁ」
世界タイトル奪取から、ちょうど1年。初防衛戦の日程が1992年9月17日に決まった。直前の南紀白浜キャンプ。突然、辰吉が話しかけてきた。
「なんや、最近よう写真撮りに来てるなぁ」
いったい初対面から何カ月経ったろうか。さすがに答えに詰まったが、辰吉丈一郎という男はずっとこんな感じだ。何を言っても、何をしても辰吉なのである。
それからは堰を切ったように距離が近くなり、ロードワークの途中、原付バイクを見つけてあっという間にシートを外し、「こうやってガソリン、パクんねん!」とおどけてみせたり、「あんな、バンタムて日本語でチャボのことやねん、実は」などとトボけたことを言ってきたり、毎日ボクを楽しませてくれた。
迎えたビクトル・ラバナレスとの初防衛戦。22歳の辰吉は激闘の末、9回レフェリーストップ負けを喫した。リングサイドで撮影していても、自分の身を削られているように感じてしまうほどの、まさに魂の激突のような試合だった。
プロ8戦目にして戴冠。一躍時代の寵児となったかと思いきや、網膜裂孔による1年間のブランク。そして再起戦は壮絶なTKO負け。るみ夫人の「丈ちゃん! もうやめてっ!」という絶叫は、今もなお耳に焼きついている。
しかし転んでもただでは起きないのが辰吉だ。かねてより「負けたら引退」と表明していたのだが、試合後一転して「あれは弟や」と現役続行を表明した。
誰もが心の中に抱える“辰吉像”
この時から、強さだけでなく、そこはかとない人間くささや、儚さを感じさせる辰吉丈一郎の人間像が出来上がったような気がする。「強い・弱い」だけでは決して括れない。好きか嫌いかで意見が分かれることもあるが、辰吉の話題はとにかく盛り上がる。職場で、あるいは酒の席で。一人ひとりに“辰吉像”があり、誰もがそれを大事にしているのだ。みんな心の中に辰吉丈一郎を抱えている。注目度も含めて、間違いなく唯一無二の存在だった。
いわゆる“華”があるのだ。辰吉を好きな人に悪い人はいない。熱くなってしまい恐縮だが、そう断言してもいい。
まだまだいくらでも思い出は湧いてくる。だが、一番はやはりシリモンコン戦になる。薬師寺保栄との日本人対決に敗れ、こだわり抜いたバンタムを離れた辰吉は、スーパーバンタムのベルトを持つ怪物ダニエル・サラゴサに挑戦するも、血みどろの死闘の末に2度までも阻まれる。「もはや辰吉もこれまでか」と、世間はもとよりボク自身も感じていた。「バンタムで戦うことは作品作り」とまで言っていた辰吉は、迷走していた。