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辰吉丈一郎22歳「なんや、最近よう写真撮りに来てるなぁ」なぜ人は“浪速のジョー”に惹かれるのか…30年間撮り続けた盟友が語る素顔
text by
ヤナガワゴーッ!Go! Yanagawa
photograph byGo Yanagawa
posted2022/09/01 11:02
1997年11月22日、限界説も囁かれるなか、辰吉丈一郎は無敗の王者シリモンコンを7回TKOで撃破。筆者は号泣しながらシャッターを切っていた
号泣しながらシャッターを切ったシリモンコン戦
1997年11月22日、大阪城ホール。限界説が囁かれていた辰吉丈一郎は、当時20歳の無敗の王者シリモンコン・ナコントンパークビューとのWBC世界バンタム級タイトルマッチに挑んだ。
この日ほど入場曲の『死亡遊戯』のテーマがずっしりと響いた試合はなかった。辰吉は黄金のバンタムで、あの矢吹丈のように真っ白に燃え尽きるつもりなんじゃないか、と感じていた。正規のリングサイドカメラ席はすでに埋まっている。ボクはあえて対面の、辰吉の足元に陣取った。なにが起きても、辰ちゃんのすべてを一番近くで記録しようと思った。
EOS-1のバッテリーを確認し、28mm-70mmズームレンズをマニュアルモードにセットする。カメラの所為でピンボケでも起こしたら、悔やんでも悔やみきれないと思ったからだ。それなりに長いカメラマン人生において、あのときほど重い気持ちで撮影に臨み、号泣しながらシャッターを切ったことはない。そして試合が決した7ラウンドの大ジャンプ。手ごたえはあったが、興奮しすぎて自信がない。
翌日、『Number』編集部で上がりを確認したときの歓喜たるや。この時の感動が忘れられなくて、いまだにこの稼業を続けているのかもしれない。辰吉には感謝しかない。
「ある意味、意志が固いといえるんちゃう」
その後、2度の防衛を経て宿敵ウィラポン・ナコンルアンプロモーションが登場する。1998年12月29日、6回KO負けで王座陥落。翌1999年8月29日に再挑戦も、7回TKO負けを喫した。
2002年、2003年と1試合ずつをこなした辰吉だが、JBCの規定により国内で試合を行うことができなくなり、海外に活路を求めていく。2008年10月26日、バンコクのラジャダムナンスタジアムでパランチャイ・チュワタナ相手に2回TKO勝利。翌2009年3月8日、ふたたびラジャダムナンスタジアムでサーカイ・ジョッキージムと戦い、7回TKO負け。試合の記録はここで途絶えている。戦績は28戦20勝(14KO)7敗1分。
リングを離れてかれこれ13年。ボクサー辰吉丈一郎は、現在も引退を明言していない。昔、何度病院にかつぎこまれても酒をやめない父・粂二を「ある意味、意志が固いといえるんちゃう」と評していた辰吉だ。やめる気がないのだから仕方ない。
ボクは思う。職業・辰吉丈一郎。これこそが我らが辰吉の生きる道なのだ。だから引退など、最初からあり得ないのだ。
辰ちゃん! ボクら、もうちょっとおじいちゃんになったら昔話をしような! お互い“現役”のままでね。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。