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[神の子の残像]山本“KID”徳郁「魂は永遠に生き続けて」

posted2022/08/27 07:01

 
[神の子の残像]山本“KID”徳郁「魂は永遠に生き続けて」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Susumu Nagao

2000年代前半の沸騰する格闘技ブームの中心にはいつも彼がいた。リング上で発するエネルギーと唯一無二の存在感は見るものを魅了し、ファイターとしてだけでなく、後進の指導育成にも力を注いだ。その根底にある純粋かつ真摯な姿を、姉、対戦相手、弟子が回想する。

 スマートフォンに保存された写真には、在りし日の山本“KID”徳郁が並んでいた。レスリングからMMAに活躍の場を移した姉・山本美憂は、デビュー戦の入場シーンを切り取った「私の好きなとびっきりの一枚」をそっと見せてくれた。

「ノリが使っていた曲を入場で使ったんですよ。そのことは本人に伝えていなくて。花道で振り向いたら、後ろについてくれたノリは踊っていて、目が合って。ファンの方が撮ってくれていました」

 MMA挑戦を表明してわずか1カ月半後の2016年9月、美憂はシュートボクシング世界女子フライ級王者RENAといきなり対戦することになった。試合当日はセコンドについた弟の指導を受け、嫌になるくらい基礎練習を重ねてこのリングに向かっていた。

 姉と弟の心のつながりが浮かび上がるような写真。たとえリングに上がらなくとも、彼は人々を魅了し、周囲の目やファインダーを引き寄せていた。

 美憂は今もはっきりと覚えている。

 2004年2月、女子レスリングが初採用となったアテネ五輪の代表選考会で敗れてしまい、失意のなか妹の聖子とKIDの試合の応援に駆けつけた。

 彼は幼少のころからミュンヘン五輪代表の父・郁榮から手ほどきを受けてレスリングで実績を積み上げたものの、シドニー五輪に届かなかったことでMMAに転向。修斗での派手な倒しっぷりが評判となって、同じ格闘技といっても立ち技のK-1からオファーが届いた。「WORLD MAX日本代表決定トーナメント」1回戦で優勝候補の一角でもあった村浜武洋と対戦することになったことは美憂を驚かせた。

こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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