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「クボは我々の心に小さな“トゲ”を」「ソシエダには必要なものが全て…」マジョルカ番記者が本音で記す“久保建英との別れ”
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カルロス・ロマン/ウルティマ・オラCarlos Román/Ultima Hora
photograph byQuality Sport Images/Getty Images
posted2022/08/21 17:03
マジョルカ時代、レアル・マドリー戦に出場したときの久保建英
そして3月にはクラブが方針を変え、ルイス・ガルシアの解任とハビエル・アギーレの招へいに踏み切った。この決断はマジョルカにとっては正解であっても、タケにとってはネガティブな変化となった。
アギーレが「冷めていて、無気力に見えた」
新監督の初陣となったアトレティコ戦で、先発予定だったクボは後半からの出場にとどまった。試合後アギーレは前日練習でのプレーが気に入らなかったことを理由に挙げ、「冷めていて、無気力に見えた」と表現していた。
結局アギーレが指揮した9試合のうち、クボは2度しか先発起用されなかった。そのうちの1試合はホームで史上最多の6失点を喫したグラナダ戦で、以降はトータル42分間しかピッチに立っていない。残留を決めた最終節オサスナ戦では全く出番がなかった。
1年目で残した数字を軒並み下回ったマジョルカでの2度目の挑戦は、ポジティブに捉えることが難しい結果となった。プレー時間が増した一方、先発の回数は減少。ゴールへの関与も減った。出場28戦(うち17戦で先発)での1ゴールは、たとえそれがどれだけ重要なゴールだったとしても、物足りない数字であることに変わりはない。
マジョルカで過ごした2シーズンを合計すると、クボは出場67試合で6ゴールを記録している。彼がゴールを決めた試合で、マジョルカは一度も負けることがなかった。
大久保、家長を上回るインパクトは残した
奇跡に近い形で残留を成し遂げたオサスナ戦後のピッチで、クボはGKグローブとオレンジ色のユニフォームをまとい、お祭り騒ぎに沸くファンの眼前でチームメートのシュートに飛びついていた。
それがマジョルキニスモに残された彼に関する最後の記憶だ。恐らくもう、胸にクラブのエムブレムを付けた彼の姿を見ることはないだろう。
ただ、少なくともタケは、かつてソンモッシュでプレーした先達を上回るインパクトを残していった。