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「クボは我々の心に小さな“トゲ”を」「ソシエダには必要なものが全て…」マジョルカ番記者が本音で記す“久保建英との別れ”
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カルロス・ロマン/ウルティマ・オラCarlos Román/Ultima Hora
photograph byQuality Sport Images/Getty Images
posted2022/08/21 17:03
マジョルカ時代、レアル・マドリー戦に出場したときの久保建英
クボが18歳でスペインにやってきた際、誰よりも彼の将来性を信じたのは他でもないマジョルキニスモだった。
だからこそパルマの人々は、彼がビジャレアルやヘタフェで振るわぬシーズンを送った後も、初めて加入した際と同様の愛情を持って再び彼を受け入れたのだ。
奇跡的な残留劇と共にシーズンを終えたにもかかわらず、我々の心に小さな“トゲ”が刺さったままのように感じるのは、恐らくそのためなのだろう。
試合を決められる存在ながら散発的だった
東京五輪での戦いを終え、再びパルマへ戻ってきた2021年8月。良い連係を築いていたブディミール、クチョ・エルナンデスら数人のキーマンが抜けていたものの、マジョルカにはクボがチームを去った1年前と大きく変わらぬ顔ぶれが残っていた。
当時の監督、ビセンテ・モレノもエスパニョールへ去っていたが、監督交代は大きな問題にはならなかった。ルイス・ガルシア・プラサ監督の信頼を勝ち取るまでに時間はかからず、クボは序盤戦から先発に名を連ねたが、ほどなく最初の障害に突き当たった。
奇しくもサンティアゴ・ベルナベウの一戦で生じた膝の負傷である。
詳細が明かされなかったこの負傷により、クボは2カ月に渡ってピッチを離れた。それでも復帰直後にはシーズンのトップパフォーマンスに達し、ワンダ・メトロポリターノで挙げた決勝ゴールは大きなインパクトを残した。
1月にはコパ・デル・レイのエスパニョール戦で鮮やかな直接FKを決め、10年ぶりの8強入りに貢献。2月のカディス戦やアスレティック戦でも持ち前の局面打開力を発揮した。
この時期、クボは徐々に試合を決められる存在となりつつあるように思われたが、結局はそれらの活躍も散発的なものにとどまった。
見いだせなかったイ・ガンインとの共存
タイミングも悪かった。
並行してチームは、まるで蜘蛛の巣にからめ取られたかのように試合に勝てなくなり、選手たちの周囲には様々な批判が飛び交うようになっていたからだ。
第一に叩かれたのはGKだ。攻撃陣、とりわけチームを牽引すべき中心選手たちも批判の対象となり、もちろんクボもその一人に含まれた。
ルイス・ガルシアはクボともう1人のアジアのタレント、イ・ガンインの2人をピッチ上で共存させる術を最後まで見出せなかった。2人が攻撃の中心となることは叶わず、いくつかのボールロスト、そして守備面で当たり負けするシーンが槍玉に上げられた。