甲子園の風BACK NUMBER
大阪桐蔭からも誘いがあった山田陽翔に「近江に来いや」 絶対的エースと誓った“甲子園V”「滋賀は近畿で唯一、日本一になっていない」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/07 06:02
滋賀大会を連覇し、甲子園に戻ってきた近江・山田陽翔(3年)。後方で優勝楯を手にする副将・津田基(3年)の存在も大きな力となっている
腰に人工骨を埋め、歩くこともままならず、リハビリには長時間を要した。療養中に身長が13センチ伸び、成長痛によるヒザの痛みも発症。中2の秋にようやく実戦に復帰したものの、それまでにはなかった“違和感”が津田を待っていた。
「身長が伸びたせいで目線が変わって、ゴロのバウンドにまったく合わせられなくなったんです。元々はショートを守っていましたが、その頃から一時的にセカンドも守るようになりました」
それでもノックを重ね、最上級生になるとレギュラーを掴んだ。
そして高校進学の話が出始めた頃、津田はある信念を胸に将来を見据えていた。
「高校は甲子園に出るだけが目標ではなく、日本一になりたかったんです。滋賀県の高校は近畿で唯一日本一になったことがないことを中学の時に初めて知りました。じゃあ、地元の滋賀県の高校に進んで日本一になれたらすごくカッコいいねって家族と話をしていて、全国に近いのは近江高校だと思って」
兄がいる大阪桐蔭からも誘いを受けていた
その頃、山田のもとには多くの強豪校から誘いが来ていた。中2年冬には山田の兄・優太さんがいる大阪桐蔭からも話があったことを耳にしており、どの高校に進むのかは、盟友・津田にとっても気になるところだった。
周知の通り、山田は津田と同じく「地元で日本一を目指したい」と近江への進学を決めるのだが、実はそこに津田の助言も絡んでいる。
「世間的に自分が山田を追って(近江に)行ったって言われているんですけれど、実は誘ったのは自分なんですよ(笑)。山田が県外の学校に行く意志が固まりかけていた時があったんですけれど、2人で軽くキャッチボールをしている時に“近江に来いやー”って軽いノリで言ったことはありました。
ただ、あの時は本気で近江に来てくれるとは思っていなくて、それ(津田の言葉)がどう影響したのかは分からないですけど……。ただ、“2人で甲子園に行こうや”とはよく言っていましたね」