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敗者が笑った甲子園伝説の決勝「なぜボールを見失った?」球史に残る“19分間の猛反撃”にのまれたプロ注目野手の悔い「14年前の映像は…まだ」

posted2023/08/18 11:03

 
敗者が笑った甲子園伝説の決勝「なぜボールを見失った?」球史に残る“19分間の猛反撃”にのまれたプロ注目野手の悔い「14年前の映像は…まだ」<Number Web> photograph by KYODO

2009年夏の甲子園「プロ注目の打者」と期待を集めた中京大中京・河合完治。堂林翔太(広島)らと全国制覇を達成した

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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「野球は9回2アウトから――」その言葉を象徴する試合といえば、2009年夏の甲子園の決勝・中京大中京vs日本文理の一戦ではないだろうか。9回2アウトから始まった19分間にも及ぶ“猛反撃”が終わると、勝者は泣き、敗者は笑っていた。異様な空気に包まれた大熱戦を一人の球児の証言で振り返る。【全2回の1回目/#2へ】

「お久しぶりです!」

 屈託のない元気な声と満面の笑みは、あの頃とまったく変わらない。ユニフォームを作業着に変えた壮年は新天地で筆者を明るく出迎えてくれた。

 河合完治、31歳。2009年夏、中京大中京高校の甲子園優勝メンバーとして記憶している高校野球ファンは多いはずだ。

 1年秋から二塁のレギュラーをつかみ、2年春、3年春夏と甲子園に出場。特に2年秋からは不動の3番打者に座り、優勝した3年夏の甲子園では6試合で28打数15安打11打点、打率.536を記録。全6試合で打点を挙げた。2回戦の関西学院戦のサヨナラホームランを含む2本塁打を放ち、当時の大会新記録となる「28塁打」もマークした。

 エースで4番の堂林翔太(現・広島東洋カープ)ほど大柄ではなかったが、がっちりした体格からパンチ力溢れる打撃は当時から“プロ注目の野手”として期待されていた。

 卒業後は「東京六大学で野球をやりたかった」と名門・法政大学に進学。入学前のオープン戦から起用されるなど、すぐに主軸に定着。進路はプロ一本に絞っていたが、4年時のオープン戦で対戦した社会人野球の打者のレベルの高さを目の当たりにして翻意。すでにほとんどのチームには断りを入れていたが、唯一返事を保留していた地元のトヨタ自動車へ進み9年間プレーした。

 30歳だった2022年11月をもって現役生活を引退。現在は、舞台をグラウンドからデスクに変え、トヨタ自動車三好工場のユニット工務部で日々奔走している。

“14年前の夏”をまだ見ていない

 プロ野球にこそ進んでいないが、名門大学や強豪社会人と歩みを進めたキャリアは側から見れば輝かしいものだろう。ましてや、甲子園で全国制覇も経験した。だが、意外にも、栄光の記憶は心のトゲになっていた。

「見たことがないというか、なんかもう、見たくなくて。やっぱり思い出しちゃいますから」

 河合はいまだに14年前の夏の映像を見ることができていない。

【次ページ】 古豪復活か、新潟県勢の初優勝か

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